留学は「ジャネーの法則」に逆らえる方法

1年間の派遣留学—セント・ポールズ・スクール留学報告

2023/07/20 (THU)

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OVERVIEW

2022年夏から1年間、提携校であるセント・ポールズ・スクール(アメリカ)での派遣留学を終えた生徒の報告レポートを紹介します。

市宮 晃太郎さん 高校3年生
6月でアメリカの学校は終業式を迎え、約280日にわたるSt Paul’s への留学から帰ってきました。同じ留学であっても人それぞれ経験し得るものは大いに異なると思います。自分に起きたことを時系列順にまとめてみます。
2022年5月、沖縄への校外研修旅行で始めて飛行機に乗った自分にとって、8月からの留学はとても意味のある経験でした。自分が勉強好きであることもあり、関東以外は塾や幼稚園で行った長野以外どこにも行ったことがありませんでした。そのため、立教新座高校には本当に感謝しています。校外研修旅行では馴染みのある友達たちとの思い出、留学では0からのスタートという真逆とも言える2大イベントは、力強い対立したメモリーです。

留学の話といきたいところですが、最初の出来事は渡航です。飛行機の遅れ、キャンセルが原因で渡航に3日間もかかりました。アメリカでの最初の思い出は皮肉なことに詐欺の被害に遭いそうになったことです。
飛行機の遅れのため乗り継ぎのシカゴでホテルに一泊することになり、飛行機会社が手配したホテルに泊まろうとしたのですが、自分の見た目が若く、英語圏でないのが明確であったためか受付のスタッフに「この額を払ってください。払わないと泊まれません」と50ドルを請求されました。飛行機会社が事前に全額を支払ってくれていたため、詐欺と見抜くのは簡単でした。自分は「そんなことはあり得ない。絶対に払わない」と頑なに断りました。口論の後、沈黙が続き突然「なんでもなかったです。払わなくて大丈夫です」と言われました。
ここでの教訓としては、海外に行ったら日本でいる時の振る舞いをやめ、強気に出るのが大切だということです。また、英語が話せる日本人からよく聞く、言語が変わると性格も変わるというのも実感しました。郷に入っては郷に従えだと思います。
左)デザインテクノロジーで作った立体パズル 右)下の学年の歴史のクラスの発表
現地に着いた翌日からバレーボールの練習がいきなりありました。時差ボケは少なくとも3日間くらい続き、昼間に頭痛と睡魔に襲われるのは大変でした。
学校も始まり、真新しい生活が始まりました。実際に苦労したことは二つあり、最初の頃は聞き取ること、会話についていくことが難しく、時々孤独を感じました。もう一つはパソコンを買ったのが直前だったため、タイピングに慣れていない状況で授業の板書に着いていくのが大変でした。生徒は全員パソコンを使うため、先生が事前に用意したパワーポイントを写す授業が大半でした。とはいえ、動画を見るだけといった、内容はこんなにゆっくり、楽でいいのかと思われるようなことも時々あったと思います。

コンピューターサイエンスという授業では、プログラミングをすることが初めてだった自分にとってとても興味深い一方、新しいものに触れ理解するまでは頭を混乱させることが多々ありました。数学でもlog e をlnと書くことには留学の最後の時期まで慣れることはなく、何度も見直しをしていました。デザインテクノロジーというクラスではデザイン、設計、概ね図工のようなことをしていて、この授業は毎年日本からの留学生が履修すると聞きました。アメリカの授業では独創性に重きを置いているのは素晴らしいと思いました。
学校で食べた物の例
当時は円安が続いており、現在の140円台とまではいきませんが、それでも元から物価が高いアメリカ生活での円安は懸念点の一つでした。そのためできる限り節約しようと始めの頃は、週に何回か昼ご飯を抜こうなどと試行錯誤しました。
日替わりのランチは一皿7.5ドルで、日本円で1000円くらいでした。毎日ランチに1000円は正直高いなと思いながらもどうしようもないためそこは諦めました。しかし、日替わりであるため、ランチは日本と違ったご飯を毎日楽しみに食べていました。
それ以外にもサイドメニューのポテトやオニオンリングも2ドル、量り売りのサラダなども売っていて量が少ない時などはたまに付けたりもしました。またアイスやデザートも500円ほどで売られていました。ジュース、クッキーなどもありました。ちなみに自分のいた家には炊飯器があり、キムチや味噌などもホストファミリーが好きで冷蔵庫に常にあったため、ご飯には困りませんでした。
二学期からはアクティングのクラスを取り始めました。本当は舞台を作る授業に行く予定だったのですが、取っている友達に勧められたことと、留学中は常に冒険的、自分にとって新しいことをできるだけしようと決めていたため、自分で直接その先生に相談して頼みました。
アクティングのクラスは留学生が今まで誰もとったことがなかったのと、自分のスケジュール上空いているコマの授業は中級者向けであったため、先生からは険しい表情が窺えました。しかし、自分の努力を評価してくれてクラスに正式に入れてもらえました。何が起こるか分からないから、とりあえず行動して試してみるのは非常に大切だと肝に銘じるようになりました。
あちらでの生活は予想外で楽しいことが沢山ありました。キャンパス内に住んでいたため休日に散歩に出たら友達がいてサッカーをすることになり、その後かき氷をご馳走してもらったり(写真1)、学校後に友達と卓球していたらそのお父さんが甘いものを食べに行こうと誘ってくれて、結果として甘いものはでっかいサラダ(アメリカンジョーク?)だったり(写真2)、別の日には陸上の大会の後に家まで車で送ってもらえるか頼んだら高級中華料理に連れてってくれたり(写真3)、友達の家族にワシントンDCに連れていってもらったらその後そのままその子の家でお泊まり会をしたり(写真4,5)、さらにはその子が日本に留学に行った後にお母さんがN Yに連れて行ってくれたり(写真6)、友達がレスリングの大会中に抜け出してハンバーガー屋に連れて行ってくれたり(写真7)、友達が更衣室で長かった髪を切ってくれたり(写真8)と、奇想天外の連続でした。
左)学校のパーティーにて 右)日本での友達との再会
最後の1,2ヶ月になると急に、早く日本に帰りたいと思い始めました。自分には日本の街並みなどと言った雰囲気が一番心地よく感じられることに気がつきました。“Home is where your heart is” も痛感しました。

レスリングの思い出
まとめとしては、留学は全く新しい環境で中1や高1のときのように慣れるのに時間がかかり、時間的には長く感じました。
しかしこれは「ジャネーの法則」に逆らえる数少ない方法であり、毎日同じ単調になりがちな生活に加えて、常に新しいものを取り入れられれば精一杯生きられると思いました。
また、これからの人生もこの留学で得たものと共に冒険的に生きて行こうと思います。

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