立教新座中学校・高等学校

学校長あいさつ(中学校卒業式式辞)

2012.03.17

十五の春へ。

不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心

 石川啄木が二十五歳の時、明治四三年に発表した歌です。懐かしい十五の頃を思って歌ったものです。不来方は盛岡城のことでしょうが、私の注目は、「空に吸われし 十五の心」といった点にあります。
 草の上に寝ころび空に吸われていく自分の心を思ってください。城跡の野原に作者は寝ころびなら空を見て、その空と自分を一体化しているのです。
 空を見ながら、色々のことを思ってください。
 これまでに色々のことがありました。入学から今まで、悲しいことの方が多かったかもしれません。寂しいことが多かったかもしれません。悔しいことも多かったかもしれません。そんな思いが空に吸われていくのです。
 空の向こうに私には、天空海闊(てんくうかいかつ)という文字が浮かびます
 天空海闊。天と空と海が一緒になり、天と空と海が果てしなく広がるという意味ですが、人物の心の許容範囲が広く大きく、相手に対して何のわだかまりもないことをいいます。
 多くの神話は、天と空と海を分けることから始まります。天空海闊はそれに逆行している表現のようにも思えます。天と空と海が分け隔てなく広がるというのです。人間の世界が誕生する以前からあった宇宙の広がりといっていいのかもしれません。そんな広がりの中での心の動きです。天空海闊に引き込まれ吸われていくのです。
 空に凧をあげています。
 凧揚げには長い歴史と多くの起源説があります。戦さのためとか、虫追いのためとか、呪いのためとか・・・。諸説の中で、私は江戸時代に言い伝えられた、男の子に空を見せるためだという説に惹かれます。
 男の子は空を見上げなければならないというのです。どんな時にも下を見るなと云うのでしょう。
 空に吸われ、空か海かも見定めず、上を見ている少年。十五の春。私は今の自分のこの時を大切にしてほしいと切に思うのです。私は、空に吸われるという感性は、おそらく十五歳が持つ特権的存在意識ではないかと思います。
 今の君たちを待つのは、青春と呼ばれる、愛への喜びの時であり、愛することへの挫折の予感です。青春の入り口に立っているのです。少年は今青年への羽化の時期を迎えようとしているのです。
 これから数年間は、親からも保護されるでしょう、しかし同時に今までの親の愛から離れる時でもあるのです。親と自己の新たな関係が構築されなければならない時なのです。親から愛される自己ではなく、親を愛する自己に変わらねばならない旅立ちの時なのです。甘えからきっぱりと離れる出発です。
 真正面から今抱える悩みに向かって欲しいと思います。今十五歳。この時が人生で空を見上げ、吸い込まれる自分を感じるその時なのです。新たな出発の時であることを感じて下さい。そして今、空を見上げ、天空海闊の四文字を刻み、君の手で凧をあげてほしいと思うのです。
 凧は、手に持つ糸がなければ、空で行き場所を失います。自由を失います。糸は自分で持つしかないのです。君は今凧と一緒に空に吸いこまれようとしているのです。凧はどこまで吸い込まれていっても、一筋の糸に繋がっています。
 いかに苦しくても、如何に辛くても、自分の信じる一筋の糸を手繰り寄せてください。天空海闊の未来をたぐりよせる諸君のかじとりは、今ここに始まるのです。
 十五の春には、十五の春のみが持つ正義があるはずです。くやしさがあるはずです。公正な判断があるはずです。今の純粋な思いを心中の核として、柱として、上を見て、空を見て、前に、前に、前に進んでほしいと思います。
 一年前の地震・津波・放射能汚染。それは今も癒えぬままです。痛恨の不幸は、広がっています。それは忘れてはならぬ不幸です。
 悲しみを前に私たちが出来ることは、生活の襟を正すことです。他者の悲しみを共有することは、難事です。難しいことです。しかし、私たちは共有の難しさを投げ出してはなりません。
 君たちが迎えた十五の春に有頂天は許されていません。軽やかな冗談も、弾むようなリズムも、被災地の悲劇を思う時、祝意に重ねることは出来ません。
 今諸君たちに出来ることは、被災地への労働力ではありません。誤解を恐れずに言えば、被災地での活動ではありません。今君たちに求められているのは、悲しみに沈み、帰ろうとしても帰れない十五の春との連帯です。心をつなぎ合うことなのです。心で肩を組むことなのです。
 悲しみを、自分を導く針路にしなければなりません。その思いは君たちの未来へのかけがえのない宝物になるはずです。悲しみを未来への光にすることの出来るのは君たちです。
 私は今ここにある存在の重みを、今ここにあるすべての人と感謝したいと思います。
 君たちの旅立ちを伝えるチャペルの鐘の音は、ここに集えずに君たちに祝福を送るすべての人にも聞こえているはずです。
 おめでとう。立教新座中学校卒業生諸君。

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「そのほかどんな掟があっても、隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。」(ローマの信徒への手紙13章8-10)

立教新座中学校 校長 渡辺憲司

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