2020/04/20 (MON)

チャプレンより聖書のことば

「ヨハネからアジア州にある七つの教会へ。今玉座の前におられる七つの霊から、更に、証人、誠実な方、死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者、イエス・キリストから恵みと平和があなたがたにあるように。」
(ヨハネの黙示録1章4-5節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン べレク・スミス
ヨハネの黙示録は紀元100年頃に書かれたと言われています。その書物のなかで、ヨハネはローマ帝国時代のアジア(現在のトルコ)にある七つの教会に手紙を書いています。七つの教会はそのあと厳しい迫害を受けることになりますが、その前に彼らを力づけるために書いた手紙であると解釈をしています。終わりが見えない状況のなかで彼らはなにをもとに希望をもち、信じ続けるのかがヨハネの黙示録の手紙のテーマです。

人は頑張り続けるためには、今の時点では手に入れられないもの、目に見えないものを信じることが必要ではないでしょうか? 1900年ほど前のキリスト教にとって、その信仰と希望となったのはイエス・キリストでした。イエスは冒頭に引用した箇所でも「死者の中から最初に復活した方」と呼ばれています。迫害のなかで死ぬ可能性もあった彼らにとって、死そのものからの救いがなければ、本当に救われていると言うことはできなかったのではないかと思います。

今の新型コロナウイルスの問題が拡大するなか、もう一度、わたしたちは考えるときが与えられています。何が一番大切であるか、自分の人生にはどのような目標や期待があるのかを考える機会が与えられています。今まで何とも思わなかった友達との食事がどれほど貴重なものだったのかに気づいている人も多いと思います。今だからこそ自分の価値観や希望がはっきりと見えてくる人も少なくはないと思います。そして、今だからこそ私たちは、普段の忙しさから離れ、目の前にあるものだけではなく、永遠のものや死の向こうにあるものについて考えることができると思います。

生きている限り、私たちは未来へと進みますが、その未来がどうなるか全く見えてこないとき、自分たちの計画したことができなくなるなかで、原点に戻り、人間として何が自分の目に見えない未来の希望の源となっているかを考えることができます。キリスト教では、その希望の源となるのはイエス・キリストです。イエス・キリストはこの世に来て、私たちに正しい道を教えた教師であるだけではありません。イエス・キリストは復活された主なる神であると新訳聖書を書いた使徒たちと弟子たちが証言しています。そのイエスによって、目の前にあるものがどうなったとしても、死そのものからの救いがあることを信じています。そのイエス・キリストからの恵みと平和が皆さまにも与えられることを祈ります。

2020年4月20日

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