2020/04/27 (MON)

チャプレンより聖書のことば

その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。
(ヨハネによる福音書第20章19節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン 石田雅嗣
イエス様が復活なさいました。本当におめでとうございます。今週も、イエスさまのご復活のお祝いとして、イエスさまの方から私たちのところに来てくださって、「あなたがたに平和がありますように」と呼びかけてくださっておられることを覚えたいと思います。弟子たちが主を見て喜んだように、私たちも大きな声で感謝して、これに応えましょう。神様が私たちに「大好きだ」と言っておられること、これにまさるものはありません。それも、私たちの求めに応えてというような話ではなく、すべての人に一方的に神様の愛を示します。それぞれの人が心を閉ざしていたり、迷っていたりしている、そんな弱い私たちに、神様が一方的に「大好きだ」と言っておられる、イエス様の復活はまさにそのことを示しています。私たちは、外出自粛の時を迎えて、学校に行けない、すなわち自分たちから何かをするということができなくなってしまうような気持ちにさらされています。しかし、まず、思い返したいのは、私たちは何かをするかしないかにかかわらず、神様が一方的に私達のところに来て神様の愛を示してくださっておられるということです。

実は、ペテロをはじめ11人の弟子たちは、真っ暗な気持ちで心に鍵をかけて閉じこもっていたのに、復活のイエス様に出会い、外に飛び出していきます。この弟子の筆頭であるペトロは、なんと、イエス様が十字架にかかるときに、3度もイエス様を知らないといい、呪いの言葉さえ用いたと、イエス様への裏切りを伝えています。しかし、この弟子たちが、鍵を開けて出ていき、まるでイエス様の生まれかわりのように活躍しました。弟子たちの周りには大勢の人が集まり、弟子たちを通して神様が働いて、病気の人がいやされたりもした。しかも、ペトロが通りすぎるときにその影にでも触れればいやされると信じた人たちが、病人を道端に並べたという話まであります。「影に触れれば」ということは、本人は知らないわけです。自分の影がどこに当たっているかを知らない、つまり、弟子たちが働いているのではなく、神様が働いているのです。だから、影でも、効き目があるということです。神様が働くわけだからです。神様が一方的に恵みをくださって、私たちを通して働きます。時には知らない間に、私達を通して神様が働き、誰かを救います。

これから、オンライン学習も始まってきます。バーチャルなものであっても、実際に人と接触しなかったとしても、私達は、それを通して、神様の働きをしめすことができるかもしれません。神様が宿ったなら、影であっても私達はすばらしい力を発揮します。バーチャルな世界であったとしても、私達は、大勢の人を優しい気持ちにして、大勢の人の涙を笑顔に変えてあげることができます。実に、神様は、わたしたち一人ひとりに、生きていく中で、課題を与え、試練を与え、呼びかけ、気づかせ、立ち上がらせ、押し出してくださいます。私たちは、この機会を通して、自宅などで離れて生活していても、心は一つになることができるということを感じていきたいと思います。

2020年4月27日

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