2020/05/07 (THU)

チャプレンより聖書のことば

わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。(ヨハネによる福音書10章11節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン ベレク・スミス
復活節第4主日は「良い牧者の主日」と呼ばれます。ヨハネの福音書の10章でイエス・キリストは良い羊飼いと悪い羊飼いについて教えています。良い羊飼いは羊の声を一つひとつ聞き分けることができます。そして、羊を名前で呼び、羊は良い羊飼いの声を聞き、ついて行きます。これとは対比的に、イエスは、当時のユダヤ教のリーダーへの厳しい批判として、悪い羊飼いのことを強盗や盗人と呼びます。悪い羊飼いは、羊のことよりも自分たちを優先し、自分たちの利益のために羊を利用します。

ユダヤ教とキリスト教の聖書では、羊飼いが多く出てきます。アベルを始め、ヤコブ、モーセやダビデも皆羊飼いでした。そして、ダビデの詩篇23篇にあるように、古代から神が羊飼いに例えられることもありました。イエスは自分が「よい羊飼いである」と言うとき、自分が神であると主張していることにもなりますが、それよりも、イエスは神と神を信じる人との関係について語っています。ユダヤ教とキリスト教の神は、我々と普段から無関係な存在ではなく、日常的にも神が我々を愛し、導き、恵まれる神であると信じています。そして、私たちキリスト教徒は羊のように神の声(主に、聖書や礼拝などで聞く神のことばや音楽)を聞き、それに従います。

詩篇の23篇にはこう書いてあります。「主はわたしの牧者 わたしは乏しいことがない。神はわたしを緑の牧場に伏させ 憩いの水辺に伴われる。神はわたしの魂を生き返らせ み名のゆえにわたしを正しい道に導かれる。」(1-3節)良い羊飼いの声を聞くと、羊はそれを信じてついて行きます。そして、良い羊飼いは羊たちを守り、そして豊かに命を受けるために水辺に連れて行き、緑の牧場に伏させます。イエスも神も同じようにします。ヨハネ10章10節でイエスはこう語っています。「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。」キリスト教の信仰の中心にあるのは、この良い羊飼いへの信仰と信頼です。神は良い羊飼いとして、この世に生まれ、良い羊飼いとして人の心を真理の教えで導き、良い羊飼いとして十字架で羊の罪のために死に、良い羊飼いとして三日後に復活し、わたしたちのために復活の道を切り開いてくださいました。イエスを信じ、イエスの声と教えに聞き従うことがキリスト教では神と隣人を愛することの始まりであります。神がわたしたちを愛されたから、わたしたちも神を愛し、神が創造された人々や世界を愛します。このような愛の関係がすべての原点となっているのが本来のキリスト教です。

2020年5月7日

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