2021/01/11 (MON)

チャプレンより聖書のことば

水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた
(マルコによる福音書第1章10~11節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン 石田雅嗣
洗礼者ヨハネは、ユダヤの人たちに、罪の悔い改めを迫り、悔い改めた者に洗礼を授けていました。そこに主イエスが現れ、このヨハネから洗礼を受けました。マルコによる福音書は、「イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた」と、さらっと書いてありますが、これは、私たちに非常に難しい問題を投げかけます。主イエスは神の子であると信じています。したがって主イエスには、罪がない。罪を犯すはずがありません。洗礼者ヨハネが勧めていたのは、罪の悔い改めであって、主イエスは、そのような洗礼を受ける必要があったのか、なぜ、洗礼をお受けになったのかという疑問です。

初代教会の人々は、こう考えました。主イエスは、神でありながら人になられた方です。完全な神でありながら、同時に、私たちと同じ肉体を取って、完全に人となられました。ご自身は罪を犯していなくても、人として、他の人間と同じ罪を負われたのだと考えました。主イエスの生涯は、苦難の僕として、十字架に向かって歩まれました。人々の罪が赦されるとする洗礼は、主イエスにとってすべての人の罪を担う苦難の僕としての道を歩む第一歩であったということです。人々に替わって、すべての人の罪の赦しを得させる代償として、苦難の後、十字架の死を遂げなければならない使命を負っておられました。その自らの使命を確認するかのように、罪人との連帯のために洗礼をお受けになったということができます。すなわち、主イエスが、洗礼者ヨハネから洗礼をお受けになるということは、神のご意志だからであると言えます。それは、今週のことばである「水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた」にヒントがあります。

「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声から読み取れることは、イエスですら、洗礼が必要だったということです。なぜなら、洗礼とは神と人が本当の父と子になることであるからです。神のその絶対なる力がこの私の内に宿ること、すなわち絶対の希望を表しています。それは同時に私達にもこの宣言が聞こえます。天が開けて、聖霊が下ってこの私のうちに宿って、あったかい声が聞こえてくる。「これは私の愛する子」と。神がおっしゃったのならそれはもう絶対です。イエスはその言葉を信じて世界を救うためにまっすぐに歩き出しました。私達も同じです。「これは私の愛する子」という声に励まされ、歩き始めることができます。これ以上の喜びがあるでしょうか。私たちの希望は絶対です。絶対なるものに憧れ、自分の生きる意味を探し求めることができると思います。チャペルアワーの礼拝で、私たちは、毎週、毎週、この希望を新たにするために集まっています。礼拝は、素晴らしいときであると思います。私のように罪に打ちひしがれて希望を失いそうな人に希望を与えるものです。これ以上の喜びはありません。神様は、ご自分のほうからご自分を現される方です。いろいろな出来事を通して、私たちの目や耳を通して、多くの恵みといつくしみをもって「あなたは私の愛する子」と知らせてくださいます。

2021年1月11日