2021/10/11 (MON)

チャプレンより聖書のことば

イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」 その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
(マルコによる福音書第10章21~22節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン 石田雅嗣
今週の聖書に登場する「彼」、いわゆる金持ちの青年がどうなったか、金持ちの青年は救われたかについて思いめぐらしていきたいと思います。ある時、イエスさまが、旅に出ようとされた時、イエスさまの所に走り寄ってきました。この人は、どんな人かと言いますと、「たくさんの財産を持っていたからである」と記されていますから、大金持ちだったことがわかります。マタイによる福音書では、「この青年は」とありますから若者であったこともわかります。また、ルカによる福音書では、「ある議員が」と書いてあります。この3つの福音書の説明を全部寄せ集めますと、イエスさまの所にやってきたこの人は、たくさんの土地や財産を持っている大金持ちで、ユダヤの議会(サンヘドリン)の議員であった青年だったということになります。

どうでしょうか、想像してみてください。大金持ちで多くの財産を持っています。ユダヤ議会の議員であるという社会的な地位も持っています。それに、これから将来に夢を持つことができる「若さ」を持っています。誰からも文句が言われないような信仰生活もちゃんと守っていることも書かれています。地位、財産、名誉、名声、信仰心、若さにあふれた肉体、将来への希望、誰もが羨むような生活を送っています。もうすでに十分手に入れています。いわば、誰もが羨むような生活、99パーセント満たされた生活をしているのです。しかし何かが足りない。ほんとうに充実した生活が得られない、救われていない、そのような思いでイエスの所にやってきたのでした。「永遠の命を得るためには、何をしたらいいのでしょうか」と言って、尋ねてきたのです。言いかえれば、「目に見えるところは、すべて満たされています。しかし、心は救われていないのです。ほんとうに救われるためにはどうしたらいいのでしょうか」と真剣に尋ねています。これは、今の私たちにも思い浮かぶことです。そして、少し厳しいともいえる今週の聖書のイエスの言葉に続きます。この金持ちの青年は、持っている物を売り払うなんてことはできませんので、悲しみにうちに帰ります。では、この青年は救われないということでしょうか。

この後の聖書を読むと、イエスが「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもおできになるからだ」と語っています。金持ちの青年は、自らの力では結局自分の財産を売り払うことができず自分の力では救われません。しかし、イエスが私たちの罪を負い十字架にかかり、栄光なる復活によってよみがえるとき、自らの力で救われることのできなかったこの金持ちの青年も救われるということを表していると思います。これが十字架の意味です。ここで、イエスはこの青年に会った時、「慈しんで」言われたと書かれてあることを再確認したいと思います。ここはポイントです。この「慈しむ」という言葉を直訳すると「無条件に愛して」という言葉になります。なぜなら、ここは「アガペー」が用いられているからです。これは、マルコによる福音書だけに用いられているため無視されることが多いのですが、この「慈しむ」という言葉から、イエスが心の底からこの青年を愛しておられ、それも、「アガペー」だから無条件に愛しておられることがわかります。無条件ですから、自分で自分のことを救えるか救えないかなんという条件は関係ありません。自らの力では救うことのできなかったとしても、神様がこの金持ちの青年を救うのです。これが「アガペー」の意味です。これほどまでに、私たちを無条件に愛してくださる神様、駄目な自分であっても、もしかすると、駄目だからこそ、私たちのことを「大好きだよ」と言っている神様を思い出し、イエスの教える神様の無条件の愛に信頼していきましょう。

2021年10月11日