2021/12/06 (MON)

チャプレンより聖書のことば

「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」
(ルカによる福音書第3章4~6節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン 石田雅嗣
クリスマスを待ち望む時期となってきました。今週の聖書の箇所は、この時期によく読まれるところです。ここで「皆」とあるのは、文字通り「すべての人」です。そして、「神の救いを仰ぎ見る」といっていますから、もっと簡単に言うと「救われる」ということです。神様は、「あなたは必ず救われる」とすべての人々に語っているのです。そして、「皆」といっている、「すべての人」というからには、ここにいかなる条件もありません。特定の宗教、例えば、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教、神道を信じていようとも、信じていなくても、善人も悪人も、およそこの世に生を受けた人間のすべてです。特に、悩みを抱えて苦しんでいる人、自分のような罪人は決して救われないと思い込んでいる人こそ、神様は、「私はあなたを愛しており、かならず救う」と私達に語られておられます。

このようにいうと意外に思われるかもしれません。キリスト教は信者だけを救う宗教だと思われていますし、現にそのように教えている教会もあります。しかし、本来のイエス様の教えは、すべての人を分け隔てなく愛する温かい教えであり、これがまっすぐに伝わることが、神様の願いであると思います。しかし、いつからか、どこかで曲がってしまって、キリスト教を信じる者だけが救われるというような考え方になったんだと思います。

考えてみてください。そもそもすべての人は神様によって望まれて生まれて来たものであり、神様に愛されて生き、やがて死を超えて神様のもとに生まれていく存在です。それを天国といおうが極楽といおうが、言葉の問題はともかく、最後はハッピーエンドで終わるのです。それは、人間の側の条件とは無関係な、神様の恵みによるものです。その意味で、すべての人は、本来的に救いのうちにあるわけで、それを、真っ直ぐに受け止めることが大切であると思います。キリスト教はよく「信じる者は救われる」と言います。しかし、何を信じたからどう救われるのかが重要です。特定の神仏を信じる者はご利益を得るとか、特定の宗教に入ったものが天国に行くというような曲がった解釈をすると、おかしくなるのだと思います。そうではなく、「すべての人が救いのうちにあること」をまっすぐに信じる人は、「その救いに目覚める喜びによって」この世でも救われるということです。

どんな宗派であってもよいのではないでしょうか。私達はみんな、やがて必ず天国・極楽で共に宴を囲むことになります。私達の弱さ、罪、それらをすべて神様が良いものに変えてくださるのです。これは一人残らずです。それを知ってまっすぐに信じることが、その準備期間であるこの世を本当に良いものにしていくと思います。あらゆる宗教を超えて、「すべての人が救われる」いうことを真っ直ぐ信じていくことが、最も大切なことであって、この時期をそのような、クリスマスの神秘を準備するよき時として過ごしていきたいと思います。

2021年12月6日

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