2021/12/20 (MON)

チャプレンより聖書のことば

「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」
(ルカによる福音書第1章46節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン 石田雅嗣
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」とマリアは言います。 しかし、その時のマリアは、心からでないと神を賛美できるような心境ではないはずです。といいますのは、突然、天使が現れて、「あなたは聖霊によって身ごもり、男の子を産むであろう」と告げられたからです。これは、結婚前に婚約者でない人の子どもを身ごもることですから、当時のユダヤの社会では死刑になることと同じです。ものすごく大きな出来事です。私にも、小さなことですけれども、平凡に普通に過ごしているのに、突然、とんでもない出来事がやってきます。突然、病気になったり、ケガをしたり、ひどいことをされたり、言われたり、皆さんにもあると思います。そんなとき、びっくり仰天し、驚き、恐れ、不安のために頭の中が真っ白になってしまいます。そして、この後どうなるんだろうと、くよくよしてしまいます。マリアもそうだったと思います。しかし、その後、マリアは冷静になり、われを取り戻すとともに神への信頼を回復し、従順にこの言葉を受け入れました。起こりえないこと、起こったら死刑になるかもしれないことが、マリアの上に起ころうとしているにも関わらず、「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。」という、この神への賛美はふつうであれば、言葉となって口に出てこない心境です。 それは、口先だけではなく、表面的なことではなく、頭の中だけではなく、全身全霊、これから生きていく生涯、生命をかけたぎりぎりのところで、神を賛美し、告白している言葉なのです。

マリアは、天使と出会って人生が変わってしまいました。それでは、私達は、もし立教学院に出合っていなかったら、何をしていたのでしょうか。そんなことを思ってみたことはありますか。立教に出合っていなかったら、クリスマスの礼拝に出たりすることはなかったかもしれませんし、また、いまの仲間、先生とも出会うことはなかったでしょう。もしかしたら、ひとりぼっちでさみしく過ごしていたかもしれません。けれども現実は違います。現実は神様が私に皆様を会わせてくださったし、こうして神様は私たちをイエス様に出会わせてくださっています。私たちがここにいるのは素晴らしいことです。私たちは今日、神様に導かれてこの仲間に出会うことができたわけです。私たちがこうして実際に会っているこの現実は本当に素晴らしいことです。

イエス様の誕生のときには、羊飼いたちは天使に出会います。東方の博士たちは遠いところから星に出会います。これがキリスト教のはじまりです。出会うところからはじまります。出会って本当に心と心で会うことができれば、何か尊い歴史がはじまるのです。そして、出会いの原点は、何よりも神様が私達に会いたがり、直接会いに来たということです。これがクリスマスの意味です。このクリスマスにも新しい出会いがあるかもしれません。その出会いを大切にして、よきクリスマスをお過ごしください。

2021年12月20日

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