2022/05/23 (MON)

チャプレンより聖書のことば

イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。」
(ヨハネによる福音書第14章23~24節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン べレク・スミス
冒頭の言葉はイエス・キリストが十字架に掛けられる前の夜に弟子たちとお話をしたところから引用しています。イエスが弟子たちから離れて行くにあたり、イエスの言葉を守るか守らないかが大きな問題となっていきます。「イエスを愛しています」と言いながらもイエスの教えや言葉を守らない人も当然ながらですが、生じてしまいます。「それでも大丈夫だ」と教える人はいますが、決してそうではありません。イエスが弟子たちに示した道のすべては愛で始まり、愛によって完成されます。そして、イエスが教える愛は感情や気持ちのことではなく、具体的な行動であります。

パウロはイエスが言っているこの愛をコリントの信徒への手紙一第13章で語っています。「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」(4~7節)。イエスの教えている愛はこのように積極的に働く愛であり、キリスト教が伝えている神そのものの性質であります。

愛することと、イエスの教えを守ること、つまりイエスが教えた愛の道を歩むこと、これを切り離すことはできません。言い換えますと、愛の道を歩まない人はイエスも父なる神も愛していないですし、一緒に住むこと(天国に行くこと)ができなくなってしまうということです。

愛の道を歩まない人は多くいます。隣人を愛することよりも権力や自分の利益を選ぶ人は多くいます。戦争になると必死に頑張るが、平和のために働かない人も多くいます。愛の道を歩んでいると言いながら姦淫の罪を犯す人もいます。自分が正しいとうぬぼれているが、イエスの教えを守らない人も多くいます。イエスの言葉を読み、心に留めて、その教えを守る人はどれほどいるのでしょうか? わたしたち人間が全力で努力して成し遂げようとするものは愛とイエスの言葉を守る道でしょうか? それとも自分の道や欲望の道でしょうか? 人間がなにに対して全力を尽くすのかを見ると、その人が歩もうとしている道が分かるのではないでしょうか。パウロがコリントの信徒に書いたような愛の道を求めて歩む人はどれほどいるのでしょうか? イエスの言葉はわたしたちをそのように問いただすこともあります。

2022年5月23日

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