2023/02/13 (MON)

チャプレンより聖書のことば

「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。」
(マタイによる福音書第5章21~24節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン 倉澤一太郎
この場合の兄弟は家族としての兄弟姉妹だけではなく、友人の枠を超える親しい間柄の友人を含めての「兄弟姉妹」を指しているように考えます。そのうえで、イエスは家族としての兄弟姉妹や友人との関係を壊れたままにしてはいけないと戒めておられるのですが、兄弟姉妹や友人との関係修復は神への供物を献げることよりも優先すると教えられました。祭壇の前での供物、おそらくはユダヤ教の焼き尽くす犠牲のことでしょう。それは自分の罪の贖いのために為される重要かつ特別な儀式です。まずユダヤ人にとって神への祈りや共同の礼拝は何よりも優先すべき大切なもので、意識があれば自分の死の間際であっても神への感謝を忘れることはないと聞きます。その大事な礼拝の際中に、それも自分の罪の代償となる犠牲の動物を持参し、いざ祭壇に奉献しようとするその瞬間に中断するなどはあってはならない異常事態です。しかしながらイエスは、その大切な儀式を中断してでも兄弟姉妹や友人との仲直りは優先すべきことであり、仲直りをせずに供え物をしても神は喜ばれないのだと教えられたと考えます。

モーセの十戒はユダヤ教では最も根本的な神から与えられた掟で、「殺すな」はその十戒の六番目の戒です。十戒は箇条書きであるため、それぞれが独立しているように見えますが、神と人との関係、家族と自分の関係、友人と自分の関係を壊すような行為を戒め、良好な関係を保ち続けることを命じており、その点を踏まえるならば家族や友人との関係を破壊する行為は、殺人と同様に神が厭われる行為だと言えます。異なる点があるとすれば殺人は関係を絶対に修復不可能にしてしまうのに対し、家族や友人との仲違いは修復可能であるという点です。おそらく神は私たち人間が仲違いや喧嘩をして関係を拗らせがちであることをよく分かっておられ、拗れた関係を放置せずに修復することが重要だと言われているのでしょう。神は私たちそれぞれに相応しい賜物を与えて下さり、それが個性となって存在するのですが、それゆえに意見や価値観の相違で対立や争いを引き起こします。完全に同一ならば意見対立は起きないでしょうが、それは孤独無縁の裏返しです。私たちを異なるように造られた神は私たちの間に諍いが起こるのも織り込み済みなのです。家族や友人との良好な関係を保ち、心からの感謝を共に神に献げることは犠牲にまさる何よりの供え物だ、とイエスは教えられたように考えます。

2023年2月13日

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