2023/06/05 (MON)

チャプレンより聖書のことば

「そうではなく、彼らが偶像に献げる物は、神ではなく悪霊に献げている、と言っているのです。私は、あなたがたに悪霊と交わる者になってほしくありません。主の杯と悪霊の杯の両方を飲むことはできないし、主の食卓と悪霊の食卓の両方にあずかることもできません。それとも、主に妬みを起こさせるつもりですか。私たちのほうが、主よりも強いとでもいうのでしょうか。」
(コリントの信徒への手紙一第10章20~22節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン べレク・スミス
紀元1世紀の初代のキリスト教の最も大きな議論となった問題の一つは、偶像に献げられた食べ物の扱いに関してでした。冒頭の箇所以外にも新約聖書で取り上げられている問題です(使徒言行録第15章、コリントの信徒への手紙一第8章、ヨハネの黙示録第2章など)。古代ローマでは、お葬式後の宴会(仏教だと「精進落とし」のようなもの)を町のさまざまな神殿で行うことが多く、その宴会で食べる肉は神殿の神々に献げられたあとに食べられていました。その肉を食べていいかどうかがとても大きな議論となっていたのです。

しかし、なぜキリスト教にとって偶像に献げられた肉がそこまで問題になるのでしょうか。その理由は、悪霊の崇拝と繋がっていることにあります。聖アウグスティヌスの『神の国』(420年ごろ)では、ローマとギリシアの神々と必然的にそれに伴う偶像礼拝は、本質的に悪霊を崇拝することと繋がっているということを論じています。偶像そのものは金や銀、木や他のもので作られていますが、その偶像を礼拝する時には、何らかの霊に対して祈ります。モーセの律法では偶像に対して祈ることそのものを禁じていますが、それ以前に禁じられているのは創造主の神以外のものに対して祈り、礼拝をすることです。2022年の聖木曜日のミサでも、フランシス教皇は偶像礼拝と悪霊への崇拝の繋がりについて警告をしました。神以外のものを礼拝することは、必然的にそのものを偶像として扱うことだと語り、そのようなものを人間が礼拝し始めると悪霊を礼拝するようになると言われています。このような理解は、キリスト教やユダヤ教の偶像礼拝に対する根本的な理解であり、聖書にも古代のキリスト教の教父の教えにも、現代のキリスト教の教えにも現れています。

キリスト教として、なぜ偶像礼拝にそこまで反対をするのか分からない方もそれなりにいるのではないかと思います。偶像を礼拝しない理由の根源には、数多く存在する悪霊への礼拝を禁じる必要性があります。聖アウグスティヌスによると、悪霊が何よりも求めていることは、神ではなく悪霊自身を人間が礼拝することです。このことは、世界の至る所に古代からある多くの宗教に見られます。さまざまな力あるものや霊を拝むことにより、知らずに悪霊を礼拝する人も古代から多く存在するのです。それに対して、良い霊(天使)というのは聖書や他のところでも必ず自分への崇拝や礼拝を拒否する場面が見られます。人間として何を礼拝し、何に祈り、何を拝むかを吟味する責任があるのです。

2023年6月5日

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