いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。
(テサロニケの信徒への手紙一 第5章16~18節)
立教新座中学校・高等学校チャプレン べレク・スミス
ユダヤ教とキリスト教の暦では伝統的に秋に収穫感謝の礼拝を行います。北半球では特に秋の収穫物が豊富にあり、日本ではぶどう、柿、サツマイモ、ジャガイモ、白菜などといった産物が収穫され、鹿狩りも一番動物の肉付きがよい秋に行います。収穫が終わると、収穫祭や収穫感謝の礼拝とお祝いを行うことがユダヤ教やキリスト教では伝統となっています。豊かな収穫があることで人々はお祝いし、神に感謝をします。収穫が豊富な時、飢えがない時に神に感謝をするのはそれほど難しいことではないように思います。
聖書協会共同訳は「どんなことにも感謝しなさい」と訳しているところがありますが、この箇所の意味合いとしては「どんな状況においても感謝しなさい」の方がギリシア語のニュアンスをよく翻訳していると思います。時には感謝がしにくいこともあるかもしれません。食べ物がなければ、食べ物に関する感謝の祈りは捧げられなくなってしまいます。しかし、食べ物がない状況に置かれても感謝をすることはできます。そんな時は、なにに感謝すればよいのでしょうか? パウロはローマの信徒への手紙で次のように書いています。「誰が、キリストの愛から私たちを引き離すことができましょう。苦難か、行き詰まりか、迫害か、飢えか、裸か、危険か、剣か。『私たちはあなたのゆえに、日夜、死にさらされ/屠られる羊と見なされています』」と書いてあるとおりです。しかし、これらすべてのことにおいて、私たちは、私たちを愛してくださる方によって勝って余りあります。私は確信しています。死も命も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできないのです。」(第8章35~37節)イエスの愛から私たちが引き離されることがないのであれば、私たちはどんな状況に置かれたとしても神に感謝をすることができます。また、私たちは死んだとしても、罪を悔い改め、神を信じるものは神の愛によって復活し、天国で永遠に生きることができます。このことがあるからこそパウロは私たちに「どんな状況においても感謝しなさい」と教えることができます。
私たちの信仰は目に見えないものへの希望をもたらし、希望は神の愛に基づいて私たちが常に感謝をすることができるための基盤を作ります。
2023年11月6日
聖書協会共同訳は「どんなことにも感謝しなさい」と訳しているところがありますが、この箇所の意味合いとしては「どんな状況においても感謝しなさい」の方がギリシア語のニュアンスをよく翻訳していると思います。時には感謝がしにくいこともあるかもしれません。食べ物がなければ、食べ物に関する感謝の祈りは捧げられなくなってしまいます。しかし、食べ物がない状況に置かれても感謝をすることはできます。そんな時は、なにに感謝すればよいのでしょうか? パウロはローマの信徒への手紙で次のように書いています。「誰が、キリストの愛から私たちを引き離すことができましょう。苦難か、行き詰まりか、迫害か、飢えか、裸か、危険か、剣か。『私たちはあなたのゆえに、日夜、死にさらされ/屠られる羊と見なされています』」と書いてあるとおりです。しかし、これらすべてのことにおいて、私たちは、私たちを愛してくださる方によって勝って余りあります。私は確信しています。死も命も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできないのです。」(第8章35~37節)イエスの愛から私たちが引き離されることがないのであれば、私たちはどんな状況に置かれたとしても神に感謝をすることができます。また、私たちは死んだとしても、罪を悔い改め、神を信じるものは神の愛によって復活し、天国で永遠に生きることができます。このことがあるからこそパウロは私たちに「どんな状況においても感謝しなさい」と教えることができます。
私たちの信仰は目に見えないものへの希望をもたらし、希望は神の愛に基づいて私たちが常に感謝をすることができるための基盤を作ります。
2023年11月6日
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