2025/03/03 (MON)

チャプレンより聖書のことば

悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。更に、悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」イエスはお答えになった。
「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」
(ルカによる福音書第4章3~8節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン 倉澤一太郎
イエスは宣教活動を開始する前に40日間にわたって荒れ野で悪魔から誘惑を受けられますが、その間イエスは何も食べず、空腹だったと福音記者は記しています。40日間行われた悪魔の誘惑がどのようなものであったか、福音記者はすべてを記していませんが、石をパンに変える、権力と繁栄を約束する、といった誘惑は個人の欲望を掻き立てる点で非常に魅力的で、40日間の試練の最後を締め括るに相応しい誘惑と言えるでしょう。

ですが、極限的な空腹に苛まれ、理性が失われかけている状況下で空腹を満たす誘惑は非常に効果的ですが、権力や繁栄は空腹に勝る誘惑になり得るかと考えると、ちょっと足りないように感じます。空腹という想像し易い個人的窮状のために見落としがちな大事なポイントが、イエスは人類を救うためにこの世に来られ、救済活動を開始するための準備として荒れ野で試練を受けているという事です。すなわち誘惑はイエス個人への誘惑であると同時に、神の人類救済を頓挫させかねない大きな罠となっていたのです。

石がパンに変わるならば、当時の世界だけでなく現代の世界をも悩ます食糧問題を完全に解決することが出来るかもしれません。また食料の奪い合いに起因する争いも起こらなくなるかもしれません。また権力や繁栄を自身の手に掌握できれば世界の政治や経済を思うがままに支配し、世界中の国や地域に起きている様々な問題を解決し、恒久平和をもたらすことも夢でなくなります。悪魔の誘惑とは神の人類救済計画を最短で完成させることが出来るよという誘いであると考えられます。それは人類の歴史において数多の英雄や改革者が辿った過ちの道で、結果として道半ばで潰えて悲劇を招いた「安易な」道です。人間だから自身の欲望や時間に負けた、イエスなら大丈夫と言う人もいるでしょう。ですがその場合、人類はイエスに永遠に頼り切りになります。イエスがいれば食糧に困らない、政治はイエスに任せれば安心となり、自分たちは何もしない状況が蔓延します。悪魔の誘惑に対するイエスの拒否は、それでは本当の救済にならない、神が望むのは人類が間違いを繰り返しつつも、自分たちの行いで自らを救うことが大事であると明らかにされるための拒否であったと考えます。

石をパンに変えて食糧問題を解決するのではなく、分かち合うことですべての者に食事を届ける。5つのパンで5000人を満足させるに至ったイエスの奇跡も、神の力でパンを無限に増やすのではなく、皆が抱え込んでいる弁当を抱え込むのではなく分かち合うために自分から差し出したくなるような、人の心を変える奇跡だったのではないでしょうか。また弟子たちを一人ではなく二人ずつの組にして遣わされたのも、自分一人の判断を頼みとするのではなく、知恵を出し合い話し合うことで問題を解決することを体験させるための教えであったのでしょう。イエスが生涯をかけて教え見せられた愛の業は、神の子イエスにしか出来ない超常の業ではなく、誰にでも実践し続けることが可能な人間の業です。不自然な超常の業は大変魅力的なものですが、安易な解決手段は必ずや破綻を招き、滅びを促進させかねない悪魔の誘惑です。イエスが示された悪魔の誘惑に対する拒否の姿勢を私たちも心に留め、安易な解決手段に逃げるのではなく、イエスが示された愛の業の模範に倣い、私たちすべての協力協働によって世界をより良い方向へ変えて行きたいと願います。

2025年3月3日

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