その後、主はほかに七十二人を任命し、ご自分が行こうとするすべての町や村に二人ずつ先にお遣わしになった。そして、彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。行きなさい。私があなたがたを遣わすのは、狼の中に小羊を送り込むようなものである。財布も袋も履物も持って行くな。誰にも道で挨拶をするな。どんな家に入っても、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻って来る。その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然である。家から家へと渡り歩くな。どの町に入っても、迎え入れられたら、差し出される物を食べなさい。そして、その町の病人を癒やし、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。」
(ルカによる福音書第10章1~9節)
立教新座中学校・高等学校チャプレン 倉澤 一太郎
慣れ親しんでいた場所から離れて新しい場所へと向かうことは、大きな期待と共に言いようもない不安も感じるはずです。自らが目指す先、赴く先には嬉しく楽しい出会いと交わりもある一方で、予想もつかない悲しく辛い別れや挫折もあることでしょう。旅行が現代とは比較にならないほど危険に満ちていた古代にあっては、たとえ短い期間の派遣であったとしても弟子たちが抱いた不安は小さなものではなかったと想像します。だからこそイエスは弟子たちを一人ずつ遣わすのではなく、二人ずつ組にして遣わされました。独りで歩むのではなく、助け手となる誰かと一緒に歩む。それだけのことがどれ程の不安を減らし、楽しみを生み出すことになるかは予想もつきません。おそらくイエスは相性や関係などは考慮せずに弟子たちを組ませたはずで、そうなれば仲の悪い間柄であっても協力しなければ務めを果たせなくなります。様々な困難や窮地を前にすれば、嫌でも相談を重ねることになります。考え方が違い過ぎるゆえの相性の悪さは補い合う関係にもなり得るのです。結果、二人の関係はこれまでとは違う新たな関係を築くことになり、務めを果たして帰還した後には無二の親友になっていても不思議ではありません。「そこで出される物を食べ、また飲みなさい」の命令が大きな鍵です。掟で食べることを禁止された物を出されたとしても、迎えてくれた人の思いを受けとめるにはどうすべきなのかを、二人で悩み考えた末に命令に従って頂くという結論を出すことになるにしても、その過程は二人の絆を育み強めます。人間を「独りでいるのは良くない」存在として造られた神様は、相応しい助け手となる人との出会いも私たちの進む行く手に用意して下さっています。
教会では新しい現場へと遣わされることを「派遣」と呼びますが、それはイエスの弟子たちが師匠の許を離れて宣教の現場へと「遣わされた」ことに由来しており、次の学年へと進級することや卒業して次の学校へと進学すること、また社会人となってそれぞれの現場へと向かうことや転勤や転属などで新任地に赴くことなども、すべて神様によって遣わされると解釈されます。出会う人とどのように交わるかは私たちの選択と決断に任されていますが、「派遣」は新しい友人と出会う機会であり、神様からの贈り物なのです。
2026年3月2日
教会では新しい現場へと遣わされることを「派遣」と呼びますが、それはイエスの弟子たちが師匠の許を離れて宣教の現場へと「遣わされた」ことに由来しており、次の学年へと進級することや卒業して次の学校へと進学すること、また社会人となってそれぞれの現場へと向かうことや転勤や転属などで新任地に赴くことなども、すべて神様によって遣わされると解釈されます。出会う人とどのように交わるかは私たちの選択と決断に任されていますが、「派遣」は新しい友人と出会う機会であり、神様からの贈り物なのです。
2026年3月2日
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