2020/06/01 (MON)

チャプレンより聖書のことば

イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」
(ヨハネによる福音書20章21節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン ベレク・スミス
初めてキリスト教や聖書に触れる人であっても、イエスが弟子たちに平和があるようにと祝福することは自然なものに感じると思います。2000年ほど前に、イエスは父である神に遣わされ、この世に生まれてきたと聖書の福音書に記されています。そして、戦争や争いや罪に満ちたこの世界に平和をもたらすために来ました。そして、その平和をもたらすためにイエスが残したのは教えだけではありませんでした。イエスは、12使徒を任命し、弟子たちの集まりを残しました。これを「教会」と言います。さらに、その教会に「聖霊」を与え、罪を赦す権限を与えました。冒頭にあるヨハネによる福音書の言葉に続き、こう書かれています。「そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。』」

平和があることと罪が赦されることがなぜ直結しているのでしょうか。どの社会でも、争いや戦いがあるとき、何らかの罪が生じるのではないでしょうか。正義がなければ、人間は自然に争いや暴動を起こします。家庭の中でも、虐待があれば平和な家庭を築くことはできません。正しさと正義が平和をもたらすための必要条件であります。まさに、今、アメリカのミネソタ州で起きている問題もすべて正義がないからです。正義をもたらすには、罪を取り扱わなければなりません。お互いに対して敵対心を抱いているのであれば、相手の罪を赦すことにより、初めて敵対心を解くことができます。

イエスがこの世にもたらす平和というのは、表面的なことではなく、心から人を赦すことです。喧嘩や争いがなくなることが目的ではなく、神と隣人を心から愛し、罪を赦すことが求められています。そして、イエスが父に遣わされたように、教会にいるイエスの弟子たちも、平和な社会を築くためにイエスに遣わされます。その使命を果たすために、イエスは神の霊である「聖霊」を与えます。イエスの弟子となることは、自分の身の回りをはじめ、平和を求めることであります。そして、そのためには、罪を赦すことも必要であり、その任務を弟子たちの集まりである教会に残して天に昇りました。人を無視することや距離を置くことで問題を避けることを覚えるのではなく、問題と向き合い、罪を赦し合うことをイエスは弟子たちに教えているのではないでしょうか。

2020年6月1日

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