2020/08/24 (MON)

チャプレンより聖書のことば

イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。」
(マタイによる福音書第16章15~18節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン 石田雅嗣
私たちはよく「イエス・キリスト」と言います。皆さんは「イエスは名前で、キリストは苗字」と間違えているかもしれません。じつは、「イエス・キリスト」は、日本語でいうと「イエス様は救い主」ということで、ものすごい信仰告白です。今でこそ、何十億人という人が、「イエスは、キリスト」「イエス様は、メシア、救い主」と宣言しますけれども、今日の聖書の箇所でペトロがひと言そう言うまでは、誰もそんなことは言わなかったのです。こういうことを思い巡らしますと、今日の聖書はやっぱり素晴らしい箇所だと思うわけです。イエス様は、ペトロに「このことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ」と語ります。つまり、私たちの「イエス・キリスト」という短い言葉も、天の父からくるものだということです。たとえほんのかけらでも、天の父からいただいた救いに気づくことができたなら、私たちの「イエス・キリスト」という短い言葉によって、私たちは、何も恐れることはないということです。

本当に、つくづくと思うことは、ペトロなしに、今の教会はないんです。ペトロは教会の土台となったものすごい人です。しかし、そもそもは、ペトロは、聖書を読んでいるとよくわかることですが、ごくごく普通の人だったのです。私たちと本当に同じで、ごくごく普通の人です。でも、その「普通の人」を、神様が選んで、ちゃんと神様のお役に立ててくださったということです。これが、イエス様が語られた「天の父が現した」ということの意味です。ですから、私たちも、なんかホントに小さくて弱い存在だと思っているかもしれませんが、神様は一人ひとりに、何らかの使命をちゃんと与えていますし、その使命が花開くように、ちゃんと育ててくださるということを覚えておきたいと思います。私たち全員の中に、そんな、神さまから与えられた、とてつもない可能性の種が、ペトロと同じように秘められているのです。せっかく「種」を頂いたのだから、種は芽吹かせてこそ初めて意味を持つのだから、ちゃんと水をやって、育つと信じて、温めていきたいと思います。もしそこに、思いも寄らない素晴らしい芽が出たら、まして予想もしなかった花が咲き、神の国の実が実ったら、どんなにこの世界は良くなるか。大げさでなく、私たちも世界を救うことができるのです。ぜひ、自分のうちに、そういう恵みがあるのだ、世界を救う可能性が与えられているのだということを思ってほしいです。ペトロは、私たちと同じようにごく普通の人でしたが、自らに与えられた恵みに目覚め、それを信じたのです。そのおかげで、今こうして教会があり、立教があります。ですから、一人ひとりが、自らの可能性を開くということは、すごいことだと思います。

2020年8月24日

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