2020/09/07 (MON)

チャプレンより聖書のことば

今、この共同の祈りに心を合わせて祈る恵みを与えてくださった主よ、あなたはみ名によって心を一つにする二人または三人に、御心にかなう願いをとげさせてくださると約束されました。どうか僕らの願いをかなえて益とならせ、今の世では主の真理を悟り、後の世では永遠の命の恵みにあずかることができるようにお願いいたします。アーメン
(クリソストムの祈り・マタイによる福音書第18章19~20節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン 石田雅嗣
この祈りは、二人、三人の人が集まって心を一つにお祈りすれば、神様は必ず聞いてくださるということであり、この祈りのもとになっているのがマタイによる福音書第18章19~20節です。この祈りには「クリソストムの祈り」という名がついているのですが、このクリソストムというのは、西暦4世紀(347年頃~407年)に東方教会で活躍したコンスタンチノポリスの大主教で、名説教家、思想家として知られています。この祈りは、1662年の英国教会の祈祷書以来、早祷、晩祷の終わりの部分に置かれていた、とても大切な祈りです。

なぜ、二人または三人が心を一つにすることが大切なこととされるのでしょうか。みんなで心を合わせてお祈りをするというときには、人格あるいは自己を「海のなかにある波」と説明してはどうだろうかと思います。海の中に多くの波があり、その波が、一人ひとりの自己であり、それぞれの波である自己が、他者・隣人と海の水でつながっており、そして、自己である波のすべては、海である神様につながって存在しているというイメージです。だから、「二人または三人が心を一つにする」というのは無理に心を一つにするのではなく、海の水の波ように自然に神様が私たち一人ひとりを形作っているのであるから、それに気づきさえすれば、もうすでに、「二人または三人が心を一つにする」ということに気づいているということになると思います。

これは、西方教会に属するボエティウスという神学者に由来する「理性的な本性を有する個別的な実体」という、いったん一人ひとりをバラバラにする伝統的な西方のキリスト教の人格概念とは対比されるものです。この「いったん一人ひとりをバラバラにする」という考え方は、人権の尊重とか個人の尊重を説明するときには便利ですが、「二人または三人が心を一つにする」と祈る場合には、クリソストムの属する東方教会に由来する「海の中にある波」のような自己を関係性のなかから説明したほうがよいのではないかと思います。

主の祈りのなかに「御心が天で行われる通り、地でも行われますように」という祈りがあります。これは、地上に天国をつくることですが、それは、やはり、最後「海」のようなイメージで、みんながすべて、愛のうちにあって一つに結ばれるようなことを示しているのではないかと思います。このように地上での天国は必ず来ますし、もう始まっています。私たちは、一人ひとりが自己をもっていて、それが波のように存在していますが、しかし、その波と波を結び、この世界のすべてを覆っている海である神様と一体であるということ、すべてのひとが神様と一つであるということを、「二人または三人が心を一つにする」祈りのうちに覚えたいと思います。とくに今日のようなコロナ禍で、学年の全員がチャペルでお祈りできないような困難な状況にあって、しかし、もしかすると、コロナ禍のなかで、もっともっと困難な状況のなかにいる人びとがいるかもしれないということを覚え、その人々も、私たちと神様とにつながっているということを思って、お互いに助け合うようなお祈りをし、実践していきたいと思います。

2020年9月7日