2020/09/28 (MON)

チャプレンより聖書のことば

「あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」
(マタイによる福音書21章28~32節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン べレク・スミス
イエス・キリストが2000年前のユダヤ教のリーダーの多くと対立したことはよく知られています。そして、その対立が起きた大きな理由の一つは、イエスが彼らを偽善者であると公に指摘したことです。偽善者にとって、公に非難されることほど許しがたいものはないと思います。偽善者は何よりも周りの人の目を気にします。イエスのたとえ話の中では、「弟」が偽善者を表しています。言っていることとやっていることに差があり、人にはよく見られたいからそれなりに答えるが、心の中で父に従うつもりがないので最終的には父の命令を無視します。当時のユダヤ教の司祭たちやリーダーの多くは、神から授かったモーセの律法の真髄を曲げ、律法を自分たちの決まりや解釈で無効にしていました。そして、人々には自分たちの決まりや伝統を押し付け、一般の信徒を苦しませていました。

たとえ話で「兄」は、一般的に社会では良くない人として見られている者たちです。明らかに悪いことをするような人たちです。もちろん、イエスはこの人たちがしていることをいいと言っているわけではありません。しかし、彼らは洗礼者ヨハネが呼びかけたときに、その呼びかけを聞き入れ、罪を悔い改めて回心をしました。一方で、一般的に「いい人」とされていた司祭やリーダーたちは洗礼者ヨハネに自分たちの罪を指摘されても聞く耳を持たず、悔い改めることもしませんでした。

キリスト教の中心にある一つのテーマは、悔い改めと赦しです。しかし、悔い改めることをしない人は赦しを求めることもないのです。口先でいいことを言いながら実際には神とモーセの律法に従わないものたちを、イエスは一番厳しく咎めます。神は誰でも自由に赦しますが、赦しを求めない人、自分が何も間違っていないと思う人は、神からの赦しを拒絶します。この人たちが最終的には神から遠ざかり、自分たちの生き方への報いを受けることになることを、イエスは私たちに警告しています。誰もが罪を犯します。罪を犯した後に、心から悔い改め、赦しを求め、生き方を改めることが何よりも大切だとイエスは教えています。

2020年9月28日

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