2020/10/12 (MON)

チャプレンより聖書のことば

王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。
(マタイによる福音書22章3節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン ベレク・スミス
イエス・キリストは自分の弟子たちを教えるとき、何度か婚宴に関係するたとえ話を用いています。婚宴はユダヤ教やキリスト教では、人々と神との関係を表すものとして考えられています。キリスト教の考えでは、婚宴は愛を中心としたお祝いです。そして、その愛によって結び合わされることをみんなで共に喜び祝うことで、みんなも愛に包まれた祝福の時を過ごすことができます。ユダヤ教では平和のいけにえ、過越の祭り、収穫感謝の祭りなど、神と人々が愛に結ばれた宴会を迎え、一緒に食べて一緒に飲むことが宗教の中心となっています。キリスト教の日曜日のミサの礼拝では、パンを食べて葡萄酒を飲みます。これも神との宴会の予兆であり、天国に行ってから行う神とみんなとの宴会の味見とも言われています。

人間は食事の場や宴会の場、そして愛を中心として婚宴の場で深く交わり、互いの喜びや悲しみを分かち合います。人間社会の中心にあるのが食事や宴会と言っても過言ではないかと思います。茶道でも、お茶事はなによりも大切なことで、日本の文化の中心にある総合芸術といえます。服装、書道、建築、庭園、料理、花道、香道、様々な職人が作ったものなど、人間の文化のすべてを用いて行うことができるのは、やはり食事の場や宴会の場です。食事に招かれることは互いの親しさや友情の表れであり、時には和解や愛情を表します。キリスト教の考えでは、天国に行くというのはただ単に自分にとっていいことがあるというものではなく、死んで復活したあとに、神と私たち人間がともに交わり、婚宴のような場を神が準備されているということです。

この天国にある神との婚宴に人々をお招きするのがイエスの弟子の仕事と使命です。そして、キリスト教の司祭たちは、人々にその宴会の予兆としてミサを行い、人々の信仰を強めます。しかしながら、冒頭のことばにある通り、イエスのたとえ話では、みんなは招かれるものの、それを無視したり拒否したりする人がいます。その人たちは神の愛と天国での祝福と永遠の命を、最終的には拒否することになります。それでも、婚宴の場に人々を最後まで招き入れ、人々に誰でも呼ばれている愛情と神との和解の場があることを知らせなければなりません。

2020年10月12日