2020/10/26 (MON)

チャプレンより聖書のことば

イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」
(マタイによる福音書第22章37~40節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン ベレク・スミス
「隣人を愛しなさい」とは誰でも聞いたことがある教えです。隣人を愛することがイエスの一番大切な教えであると思う人も多くいると思います。しかし、これには大きな誤解が二つあります。まず、イエスにとって、第一の掟は創造主である神を心も精神も思いも尽くして愛することです。自分のすべては神より頂いたものですから、すべてをもって神を愛することをイエスは教えています。モーセの律法から引用をしていますが、モーセの律法では、他の神々を離れて、唯一の神を信じることを一番大切にしています。マタイによる福音書第6章24節で、イエスはこのように教えています。「だれも、二人の主人に仕えることはできない」。人間はいくつもの主人に仕えることができないと同じように、多くの神々に仕えることもできません。言い換えると、どの人間も、本当に仕えているものは一つ、ということではないでしょうか。それは富かもしれません。名誉かもしれません。自分かもしれません。近くの神仏かもしれません。しかし、人間の中には無意識のうちにあっても、何か一つのことを何よりも大切に思っているものがあり、それがその人にとっての神であるとも言えます。

「隣人を愛しなさい」に関する二つ目の誤解は、イエスは実は、「隣人を愛しなさい」とは教えていないということです。イエスの教えは「隣人を自分のように愛しなさい」であります。この二つには大きな違いがあります。隣人をある程度愛している人は数多くいます。そして、少しのことであれば隣人のために行うことは苦にならない人も多くいます。しかし、隣人と「自分のように」愛している人は殆どいないと言っても過言ではないでしょう。父親や母親が自分の子どもを愛する愛は、「自分のように」愛する愛であることがしばしばあるように思います。しかし、隣人に対するこのような自己犠牲的な愛はほとんど見られないと思います。隣人を自分と同じように愛するということは、隣人を自分自身よりも厳しく裁かないことや、自分の過ちを赦すと同じように隣人の過ちを赦すことです。そして、人間の心の中の思いや優先順位は、お金の使い方である程度明らかになりますが、お金を隣人のためにどこまで使うかということにも直接つながります。

イエスの教えを本当に守ろうとすれば、人生のすべてが変えられていく人が多いのではないかと思います。人生のすべてをもって神と人を愛することが、イエスが私たちに示した道であります。そして、そのような深い愛を持つ人は誰よりも幸せになれるのではないかと思います。

2020年10月26日

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