2020/11/30 (MON)

チャプレンより聖書のことば

「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。」
(マルコによる福音書第13章32~33節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン 石田雅嗣
教会の暦では、11月29日から「降臨節」に入ります。降臨節第1主日から降臨節第4主日までの4週、12月25日の降誕日を迎えるまでの期間を「降臨節」「アドヴェント」と言います。このシーズンは、キリストの降誕を待ち望む、キリストがこの世に来てくださることを一生懸命に待つ、クリスマスを迎える準備のシーズンです。今年はコロナ禍にあってのクリスマスを迎える特別な時期といえます。この初日、聖書では「目を覚ましていなさい」と勧めます。

私たちが「目を覚ましていなさい」ということはとても大切であることがわかりますが、これは逆に、私たちの心は何でいっぱいなんでしょうかという質問でもあります。コロナ禍でもあるし、もし、勉強や部活のことで心配事がいっぱいで、神の愛のご計画が見えなくなっているとしたら、どうか今年のクリスマスこそはきちんと目覚め、さわやかに迎えたいと思います。苦しみや悲しみ、将来への不安は、必ず、私たちの心の中にあります。これは仕方ありません。しかし、心配事は、私たちの心を悪い方向へと導いていきます。私たちは何か「問題」があるとき、過去を振り返り、現在の状況に当てはめてその問題を解決する方法を見つけ出し、将来について安心することができます。これは決して悪いことではなく、これがなければ、人類の文明の歴史、進化の歴史はありませんでした。ある意味、私たちは、過去の経験から損得勘定をすることができて、損を避け、得を得ることができます。しかし、この弱点は、過去における後悔が大きいと、蒸し返され、将来の不安がさらに膨らみ、さらに気分が落ち込むという「蟻地獄」に陥ることです。例えば、新型コロナウイルスは正体不明のウイルスですから、将来どうなるかがわからず、いままで覚えてきた過去の知識がほとんど役に立たないか、逆効果になってしまい、これによってますます不安になってしまいます。すなわち、損を必ず避けるというわけにはいかなくなります。そこで、私たちにとって「目を覚めす」ことが大切になってきます。そのような損得勘定を超えて、私たちのうちに働く力、「私たちが求めまた思うところの一切を、はるかに越えてかなえてくださることができる方」の働きに目を覚まして信頼していきたいと思います。考えてみますと、クリスマス物語では、救い主がお生まれになったというニュースを告げ知らされたのは、母マリヤと父ヨセフ以外に、東方の占星術の学者たちとユダヤ人の羊飼いたちだけでした。東方の占星術の学者たちとユダヤ人の羊飼いたちは、目を覚ましていた人達であるとともに、「私たちが求めまた思うところの一切を、はるかに越えてかなえてくださることができる方」を信頼した人達でした。損得勘定を超えて、ありのままでよい、それでも私たちを養ってくださるという神様を信頼していきたいと思いますし、ここに「目を覚まして」いきたいと思います。そして、ここで初めて私たちも、損得勘定を超えてこの世のために働いていくことができるのではないかと思います。このような私たちの救い主であるイエス様の誕生に目を覚ましながら12月25日までの約4週間を過ごしていきたいと思います。

2020年11月30日

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