いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。
(テサロニケの信徒への手紙Ⅰ第5章16~18節)
立教新座中学校・高等学校チャプレン 石田雅嗣
この手紙の筆者であるパウロは、繰り返し、繰り返し「喜びなさい」と言います。クリスチャンが「喜ぶ」とはどういうことでしょうか。
ポーランドの小説家ヘンリク・シェンキェヴィチ の『クォ・ヴァディス』という作品があります。映画にもなりました。この小説の中に、ローマ皇帝ネロがキリスト教徒を迫害する場面が出てきます。ネロは、第5代のローマ皇帝となり、絶大な権力を手にするのですが、猜疑心が強く、実の母も妻も、元老院の議員や最も親しい友人も殺してしまうという暴君でした。贅沢三昧の生活をし、陰謀と圧政によって、人々を苦しめます。とくに、自分の趣味でローマの都市計画を思い立ち、西暦64年、ローマの街全体に火をつけさせて焼いてしまいます。そして、ローマ市民の非難をかわすために、火をつけたのは、キリスト教徒だというデマを流させます。このために、大勢のクリスチャンが捕らえられ、牢屋に入れられ、虐殺されました。毎日、クリスチャンを競技場に引き出し、火あぶりにして殺したり、剣をもって戦わせたり、ライオンに噛み殺させたり残虐のかぎりをつくします。
これを当時のローマ市民に見物させ、皇帝の人気を得ようとしました。ところが、そこで死んでいくクリスチャンたちは、神を賛美し、キリストのみ名をたたえ、顔を天に向けてほほえみながら死んでいきました。次から次へと、一塊になって引っぱり出されるクリスチャンは、喜びに満たされて、神を賛美する歌を歌いながら息を引き取っていきます。
ローマ市民は、観客である群衆は、はじめは囃し立て、足を踏みならして喜んでいたのですが、次第に、声をひそめ、そして、皇帝に向かって彼らの命乞いをし、やがてそれは皇帝に対する非難の声に変わっていきました。そうしているうちに、皇帝ネロは、悪夢にうなされ、何をしても心が晴れないで、苦しみ、もだえ、眠れません。眠れないままに、キリスト教徒がもっと苦しみ、神を恨み、キリストと言われたイエス様を憎んで死んでいるその顔を見れば、少しは、自分の気分も晴れるだろうと、夜中に、松明を持って、競技場に出かけていきました。そこに投げ出され、殺されたクリスチャンの顔をのぞき見ると、男も女も、年寄りも若者も、みんな笑みを浮かべながら死んでいるのです。自室に帰った皇帝ネロは、自分の髪の毛を掻きむしりながら、ますます苦しみます。そして、最後には、誰からも見捨てられ、裏切られて、失意の中で、奴隷の一人に手伝ってもらって自殺してしまいます。
この話は、小説であり、映画の場面ですが、西暦64年のローマの大火は歴史的事実ですし、その後に起こった、悲惨なそして大勢のキリスト教徒が殺された大迫害も歴史に残る事件として知られています。多くの殉教者が、ほほえみを浮かべながら死んでいくことができたのは、その人々の中に聖霊が宿っていたからです。そして、私たちのなかにも聖霊が宿っています。だからどんな思いがけないことが起こったとしても喜んでいることができます。もうすぐ、12月25日、クリスマスがやってきますが、そのとき、私たちのうちにも聖霊が宿っているということを再確認しましょう。その日が来ることを楽しみに待ち望みたいと思います。
2020年12月14日
ポーランドの小説家ヘンリク・シェンキェヴィチ の『クォ・ヴァディス』という作品があります。映画にもなりました。この小説の中に、ローマ皇帝ネロがキリスト教徒を迫害する場面が出てきます。ネロは、第5代のローマ皇帝となり、絶大な権力を手にするのですが、猜疑心が強く、実の母も妻も、元老院の議員や最も親しい友人も殺してしまうという暴君でした。贅沢三昧の生活をし、陰謀と圧政によって、人々を苦しめます。とくに、自分の趣味でローマの都市計画を思い立ち、西暦64年、ローマの街全体に火をつけさせて焼いてしまいます。そして、ローマ市民の非難をかわすために、火をつけたのは、キリスト教徒だというデマを流させます。このために、大勢のクリスチャンが捕らえられ、牢屋に入れられ、虐殺されました。毎日、クリスチャンを競技場に引き出し、火あぶりにして殺したり、剣をもって戦わせたり、ライオンに噛み殺させたり残虐のかぎりをつくします。
これを当時のローマ市民に見物させ、皇帝の人気を得ようとしました。ところが、そこで死んでいくクリスチャンたちは、神を賛美し、キリストのみ名をたたえ、顔を天に向けてほほえみながら死んでいきました。次から次へと、一塊になって引っぱり出されるクリスチャンは、喜びに満たされて、神を賛美する歌を歌いながら息を引き取っていきます。
ローマ市民は、観客である群衆は、はじめは囃し立て、足を踏みならして喜んでいたのですが、次第に、声をひそめ、そして、皇帝に向かって彼らの命乞いをし、やがてそれは皇帝に対する非難の声に変わっていきました。そうしているうちに、皇帝ネロは、悪夢にうなされ、何をしても心が晴れないで、苦しみ、もだえ、眠れません。眠れないままに、キリスト教徒がもっと苦しみ、神を恨み、キリストと言われたイエス様を憎んで死んでいるその顔を見れば、少しは、自分の気分も晴れるだろうと、夜中に、松明を持って、競技場に出かけていきました。そこに投げ出され、殺されたクリスチャンの顔をのぞき見ると、男も女も、年寄りも若者も、みんな笑みを浮かべながら死んでいるのです。自室に帰った皇帝ネロは、自分の髪の毛を掻きむしりながら、ますます苦しみます。そして、最後には、誰からも見捨てられ、裏切られて、失意の中で、奴隷の一人に手伝ってもらって自殺してしまいます。
この話は、小説であり、映画の場面ですが、西暦64年のローマの大火は歴史的事実ですし、その後に起こった、悲惨なそして大勢のキリスト教徒が殺された大迫害も歴史に残る事件として知られています。多くの殉教者が、ほほえみを浮かべながら死んでいくことができたのは、その人々の中に聖霊が宿っていたからです。そして、私たちのなかにも聖霊が宿っています。だからどんな思いがけないことが起こったとしても喜んでいることができます。もうすぐ、12月25日、クリスマスがやってきますが、そのとき、私たちのうちにも聖霊が宿っているということを再確認しましょう。その日が来ることを楽しみに待ち望みたいと思います。
2020年12月14日
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