2021/01/18 (MON)

チャプレンより聖書のことば

フィリポはナタナエルに出会って言った。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは、「来て、見なさい」と言った。
(ヨハネによる福音書第1章45~46節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン べレク・スミス
イエス・キリストは決して裕福な育ちではなかったことは福音書を読めばすぐに分かります。生まれた直後には飼い葉おけに入れられ、その後はヘロデ王に命を狙われ、家族でエジプトへ逃げました。そこから、ナザレという町に移り、そこでイエスは30歳ごろまで住んでいました。ナザレの地方ではユダヤ人だけではなく、他の人種も混じった人たちなど様々な人たちがイエスの生きた時代には住み着いていました。これもあって、ユダヤ教のなかでも差別や軽蔑の対象となっていました。ヨハネによる福音書第1章46節では、ナザレの人に対して差別意識を持っている人がいたことがよく分かります。

イエスの弟子となったフィリポは自分の友人であったナタナエルにイエスのことを伝えましたが、ナタナエルはすぐには聞く耳を持ちませんでした。しかし、フィリポは「来て、見なさい」と言い、ナタナエルはイエスのところへ行くことになります。ナタナエルはのちにイエスの12使徒のひとりに選ばれます。

私たち人間は、人がどこから来たのか、どのような方言で話しているのか、どの階級の人なのか、どの人種なのか、どの性別なのか、どれほど有名な人なのかなどによって、人の言うことを聞こうとしたり、聞こうとしなかったりすることがあります。自分が謙虚であれば謙虚であるほど、どんな人の話でも聞くことができるのではないかと思います。また、横柄な態度をとればとるほど、他の人の言うことを聞き入れようとはしません。フィリポは、ナザレ人のイエスを、自分の目で見たときに人生のすべてが変わりました。自分たちの中に差別や傲慢さをなくせばなくすほど、私たちはよい方向に成長していくチャンスが増えると思います。また、何よりも、聖書のなかで私たちに語りかけている神は、イエスのような身分の低いものを使わす神であり、家畜と共に生まれ、ナザレで育った人を通して真理と光と愛をこの世に示す神であります。イエスの弟子となりたいと思うなら、まずは、階級や身分や自分が人よりも優れていると自分に思わせるものを捨て、自分というものを畏まらせながら、狭き門から入る必要があります。

2021年1月18日

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