2021/02/01 (MON)

チャプレンより聖書のことば

人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」
(マルコによる福音書第1章27節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン べレク・スミス
マルコによる福音書第1章によると、イエスが人々を教えていたところに「汚れた霊に取りつかれた男がいて」、騒ぎを起こします。イエスは汚れた霊を黙らせ、その男から出ていくように命じました。すると、汚れた霊(悪霊ともいう)がその男から離れていきました。このような出来事はイエスに関して他にも記載されています。汚れた霊が存在するかしないかという議論はありますが、古代からどの文化にも悪霊や汚れた霊に関する習慣や言い伝え、宗教的行事があります。現代でも、悪霊や汚れた霊に関しての話はたくさんあり、映画で有名なのは『エクソシスト』や『エミリー・ローズ』ですが、どちらも実話をもとに書かれています。

キリスト教では、どこの地方にも指定のエクソシストが存在します。悪霊などに関しての体験を人に話すことをしない人が多いのですが、実際にはそれほど稀なことではありません。私も司祭になってから今まで何度かエクソシズム関連で対応をした経験がありますし、自分の住んでいたアパートに悪霊が付いたこともあります。エクソシズムを行うにはそれなりにやらなくてはならないことや、気を付けなければならないこともありますが、最終的にはイエス・キリストの名によってその悪霊を追い払い、神の聖霊によってその人やその場所を守ります。「権威」というものは普段あまり考えないかもしれませんが、イエス・キリストには誰にも勝る、全世界を支配する権威が神から与えられているとキリスト教は信じています。そして、実際に、悪霊であろうと何であろうと、イエスの権威に従わなくてはならないのです。

今の時代では、神は、人の心の中の思いを明らかにするように、人間に自由を与えています。悪を行うときには、すぐに裁きがくるわけではなく、最後の裁きの日まで神は待っていると聖書では教えています。そして、全知全能の神だからこそ、正しく人々と悪霊を裁くことができるとも信じています。このような神が本当に存在しているのであれば、その神を信じることが何よりも大切なことになるのではないでしょうか。立教学院の創立者であるウィリアムズ主教はそう考え、日本人にもその神のことを伝えるために一生を捧げられました。立教学院では、今でもこの権威を持つ神のことを伝えることが、建学の精神に基づいた教育に欠かせない一部分であると考えています。

2021年2月1日

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