2021/02/22 (MON)

チャプレンより聖書のことば

「あなたたちと共にいるすべての生き物、またあなたたちと共にいる鳥や家畜や地のすべての獣など、箱舟から出たすべてのもののみならず、地のすべての獣と契約を立てる。わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」
(創世記第9章10~12節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン 石田雅嗣
立教学院聖パウロ礼拝堂の建物は、「はこぶね」がモチーフになっていて、天井が箱舟の船底の形をイメージして作られています。学校にノアの箱舟があるということは、学校生活のなかで、生徒たちに試練が訪れたとき、いわば駆け込み寺のような意味合いがあると思います。私たちが生きていくうえで、どうしても一人きりで誰ともしゃべらないというような、今のこの世の仕組みの中で生きづらい、そう思うような状況ができてしまう気がします。そのような時に、安心して、「ここなら来られる」「ここは自分の居場所だ」、そう感じられるような場所をイメージしているのではないかと思います。ちょうど、ノアの箱舟が、全地が洪水で滅びようとしているときにその中だけは安全で、ほっとできる唯一の場所であったように、今世の中がまるで洪水のように私たちを脅かしている、それに気づいてしまった生徒たちが、この「ここに行けば自分は自分のままでいいんだ。どんな自分でも安心してここにいられるんだ」、そう感じられる場所が必要とされていると思うからです。よく考えてみると、洪水に適応できる人なんて誰もいないと思います。ちょっと元気で泳ぎが上手で、束の間は洪水の中を生き延びることができるとしても、やがては「もうこれ以上無理だよ」とそう言って、疲れ果て、避難場所を探しだすのではないかと思います。そして、とても敏感でとても優しくて人の心がよくわかる、そんな純粋な人ほど、この洪水に適応できず、ほっとする場所、安心して自分らしくいられる場所を探し求めているのではないかと思います。ですから、この様に考えると全ての人がそうであるはずです。その意味では、立教学院の生徒たちというのは、神様からいち早く特別に選ばれて招かれた、そのような人達、人類の代表選手なのだと思います。生徒たちがこの「はこぶね」にやってきて、この箱舟の中なら誰からも責められず、何の要求もされず、自分がそのままでいても「あなたがいるだけでうれしいよ」と言いあえる、そんな体験をして息をふきかえしていく、実は、そのようにチャペルに集まってくる生徒たちが、この世界を救い、この世界を導くのではないかと思います。ちょうどノアの箱舟がそうであったようにです。

世の中は、どうしてもいろいろと過酷な条件を持ち出して私たちを縛ります。もっとこうしないと幸せになれないよ、もっと頑張らないと皆から受け入れられないよ、世の中はそういうメッセージで満ち満ちているのではないでしょうか。それは、いわばもう大嵐の洪水のようなものです。そして、私たちキリスト者は、その大嵐の洪水の中に立ちはだかってその考え方に抵抗します。洪水に流されていけば「みせかけの平和」でたぶん楽でしょうけれども、神さまの御心がなされるようにとイエス様のようにこの世に抵抗します。しかし、これもなかなかつらい。そんなとき、聖パウロ礼拝堂全体が立派な箱舟である、そんな抵抗のしるし、シンボルであってほしい、そう願うところです。

映画では、立派な箱舟に次々とつがいの動物が入っていって、そしてゾウガメがゆっくりゆっくりとスロープを上がって箱舟に入っていくシーンがあることを思い出します。えっちらおっちらと、このカメさんが箱舟に入っていく。それは、どんなにペースが遅くても、みんなよりのろくても、ともかく無条件に全ての生き物を救おうという箱舟の愛がよく表れているシーンであると思います。

2021年2月22日