2021/09/06 (MON)

チャプレンより聖書のことば

自分は信心深い者だと思っても、舌を制することができず、自分の心を欺くならば、そのような人の信心は無意味です。みなしごや、やもめが困っているときに世話をし、世の汚れに染まらないように自分を守ること、これこそ父である神の御前に清く汚れのない信心です。
(ヤコブの手紙第1章26~27節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン べレク・スミス
冒頭の言葉が含まれている手紙を書いたヤコブは、イエス・キリストの兄弟、または近い親戚と伝えられています。1世紀に書かれたユダヤ教の書物にも登場する人物ですが、彼自身の信心深さも広く認められていました。イエスの弟子になることは何かを心のなかだけで信仰するということではありません。また、口先だけで言うことではありません。心の中で信仰することやことばで信仰を言い表すことは大切ですが、そこでとどまってしまうのであれば無意味なものであるとヤコブは教えています。

「みなしごや、やもめが困っているときに世話を」することは、われわれの社会で一番小さいものや弱いものを助けることです。ここで政治的な政策にすぐに思いがいってしまう人もいますが、ヤコブはそのようなことを話しているわけではありません。一人ひとりが持っている宗教心のことを語っているのです。最も弱いものを助けようとしない人がイエスの弟子であるとは言えないでしょう。これは行動に現れるものであり、自分の時間と資産がどのように使われるか、具体的に見ることができることです。しかし、心の中で信仰し、口で唱え、弱いものを助けるだけでも足りません。

ヤコブは「世の汚れに染まらないように自分を守ること」も教えています。既にお気づきかもしれませんが、「みなしごや、やもめが困っているときに世話」をすることは「隣人を自分のように愛する」ことを言い換えたものであり、「世の汚れに染まらないように自分を守る」ことは「力を尽くし、知性を尽くし、思いを尽くして神を愛する」ことを言い換えた教えです。つまり、誠の宗教は、イエスの教えた最も大切な愛の律法を守ることであるとヤコブは教えています。世の汚れに染まらないことは、世の中にはびこる妬み、高慢、貪欲、色欲、怠惰、強欲などの罪から自分を清め、守ることであります。

しかし、最も大切なことは、隣人を助けようとすることや罪の汚れから自分を守ることでもなく、隣人を愛する心からその愛の現れとしてよい働きをすることであり、神を愛するがゆえに自分を清く守ることであります。自分がよい人になろうと必死に頑張るだけでは、とても頑張り切れないでしょう。しかし、心から神を愛し、隣人を愛することからイエスの弟子として「みなしごや、やもめ」を世話し、世の汚れから自分を清く守るのであれば容易いことでしょう。

立教の創立者であるウィリアムズ主教も、この世の汚れに染まっていない真理を教える教会へと人々を導くために学校を設立し、また、社会で最も弱い人たちである病気の人々のお世話をするために聖路加国際病院のもととなった医療施設を設立しました。このように、ウィリアムズ主教もヤコブの教えに沿った形で隣人を自分自身のように愛し、神を愛したのです。ヤコブの教えはどの時代でも適応できる教えであり、どの時代でも必要である教えです。今の立教学院もキリスト教の真髄を貫く生き方を世に示す教育の場となることを祈ります。

2021年9月6日