2021/10/04 (MON)

チャプレンより聖書のことば

ファリサイ派の人々が近寄って、「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と尋ねた。イエスを試そうとしたのである。イエスは、「モーセはあなたたちに何と命じたか」と問い返された。彼らは、「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」と言った。イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」
(マルコによる福音書第10章2~9節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン べレク・スミス
旧約聖書のモーセの律法には離縁に関する掟(申命記第24章1~3節)がありますが、どの理由で離縁をしてよいかが記載されていないため、イエスの時代でもユダヤ教では大きな議論がされていました。当時のラビ(ユダヤ教の先生)はどんな理由でも離縁が認められると考えていた人もいれば、姦淫やネグレクトすること以外の理由は認められないと考えていた人がいました。そこで、ファリサイ派の人々がイエスを試そうとして離縁に関する質問をします。

イエスのファリサイ派の人々に対する答えはとても興味深いものです。まず、イエスは、モーセが離縁を認めた理由は人間の罪(「頑固なので」)であり、本来、離縁はあってはならないことを確認します。つまり、イエスとしては「どんな時に離縁してもよいのか」という質問そのものが間違っているということになります。どんな条件で離縁できるかできないか、イエスは他の箇所で説明していますが(マタイによる福音書第19章9節)、そのことより、結婚そのものが神聖なものであることを認識することが必要であるとイエスは言っています。男と女が一人ずつ結婚において結ばれることは、ユダヤ教やキリスト教ではただ単に人間が行うことではなく、神が結び合わせるものであることをイエスは教えています。神ご自身が男と女を結婚という形で結び合わせ、父母の支配下に入らない家庭をつくることを人間に求めていることが分かります。そして、創世記第2章のアダムとイブの話は結婚の話でもあることも分かります。

エフェソの信徒への手紙第5章25~32節で使徒パウロは結婚について書いていますが、そこではイエスと教会(神の民)との関係が結婚を通して表されていると教えています。そして、この関係が愛そのものに基づいています。パウロによると、夫はイエスが教会を愛するように妻を愛さなければなりません。その愛の関係が神聖なものであり人間が離してはならないものです。子どもたちが育つ環境としても、愛情に包まれている家庭、そして父と母が神に結ばれて愛し合っている関係が本来の在り方であると聖書は教えています。さまざまな理由で本来の在り方を確保することはできない場合もありますが、イエスは、離縁のことに注目することより、本来のあるべき在り方に注目をすることが必要であると教えています。

2021年10月4日