2021/11/01 (MON)

チャプレンより聖書のことば

聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
(申命記第6章4~5節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン べレク・スミス
イエス・キリストが最も重要な掟は何であるかと聞かれたとき、冒頭の申命記の箇所をまず引用して次のように答えました。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」(マタイによる福音書第22章37~40節)。2000年前でも現代でも、ユダヤ教の中心にあるのはこの預言者モーセからの呼びかけです。

隣人を愛するということは、誰もが人生のどこかで耳にすると思います。しかし、ユダヤ教やキリスト教では神を愛することが第一に重要なことで、隣人を愛することは神を愛することに基づいているのです。そのことをヨハネの手紙一第4章7~8節で書かれています。「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。」神との愛の関係と、隣人との愛がどのように結びついているか、ヨハネは私たちに教えています。

神が愛であることは、実は、キリスト教では三位一体の教えと繋がっており、神には父、子、聖霊という三つの神格が愛の関係にあるからこそ神そのものが愛であると言えるのです。神がまず人間を愛するのではなく、神の愛は人間が創造される以前から存在し、神の存在そのものが愛であるのです。そして、その神が人間を自分の似姿に創造されたが故に、人間は愛がなければ満たされない生き物として存在しているのです。

申命記でモーセは、イスラエルに神を愛することを呼びかけますが、その呼びかけの前提として、神がイスラエルの民をエジプトでの奴隷の状態から救い出した神であることがあります。もちろん、神が人間を創造したのだから人間が神を愛するのは本来、自然なことではありますが、イスラエルへの呼びかけは神の救いの業を前提としています。新約聖書にあるヨハネの手紙では、全世界の人への呼びかけですが、その根拠には全世界の人々の罪を背負い、全世界の人々を罪から救い出す道を備えたイエス・キリストによる神の業があります。ですから、聖書にある神を愛することへの呼びかけには具体的な歴史的根拠があり、私たちに対しての神の救いの働きが必ず前提としてあります。

そして、最後になりますが、「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして」神を愛することは、この世の権力、財産、命そのものを神と神に喜ばれることほど愛さないということになります。このように、神を愛することは、貪り、妬み、高慢などの罪から自分が遠ざかる道を選ぶことでもあります。

(2021年11月1日)

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