2021/11/15 (MON)

チャプレンより聖書のことば

「そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『見よ、あそこだ』と言う者がいても、信じてはならない。偽メシアや偽預言者が現れて、しるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちを惑わそうとするからである。だから、あなたがたは気をつけていなさい。一切の事を前もって言っておく。」
(マルコによる福音書第13章21~23節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン べレク・スミス
イエス・キリストが十字架に掛けられる少し前に、弟子たちとエルサレムにあった神殿について話している場面がマルコによる福音書第13章に書き残されています。神殿というのは、神がイスラエルの民と共にいてくださることの象徴でしたが、その神殿が壊されるときが来ることをイエスは預言しています。当時のユダヤ人たちには想像しがたいことだったに違いありません。しかし、紀元70年にエルサレム神殿が破壊される前、何人ものユダヤ人がメシアであることを主張し、民衆を集め、ローマ帝国に対抗しようとしました。このことは当時生きていたヨセフスというユダヤ人によって記録されています。イエスの預言した通りになり、多くの人々が惑わされ、ローマ帝国に対して反乱をした結果、エルサレムとそこにあった神殿がすべて取り壊されてしまいました。2000年後の今でも、神殿の再建はされておらず、今では神殿があったところにイスラム教のモスクが建っています。

イエスが預言したのは、ただ単に神殿が破壊されることや偽メシアが現れることではなく、神殿を中心としたモーセの時代からあった古い世界が破壊されることを預言したのです。アダムの時代からあった罪に満ち、闇に覆われた世界がイエスの復活によって作り変え始められたのです。パウロはこのことについて次のように書いています。「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」(コリントの信徒への手紙第5章17節)。キリストに洗礼を通して結ばれる人はすでに魂が新しく作り変えられている人となるのです。それゆえ、キリストにある世界では神殿とそこで屠られていた動物の必要性がなくなったのです。罪が一切なくなったわけではなく、罪の代価がイエスの十字架の死によって払われたので、イエス・キリストを通して救いの道である新しい世界への道が切り開かれたのです。

1世紀にユダヤ地方で現れた他のメシアたちは罪とこの世の闇ではなく、ローマ帝国と対立しようとしていたのです。ですから、彼らによる新しい世界と新しい創造への道と希望はなかったのです。今では、イエス・キリストによって新しい創造、つまり、神の国への道が備えられているにも関わらず、古いローマの世界のような権力、力関係、富と名誉を求める人が今でも多くいます。イエス・キリストに結ばれ、救われることはこのような世界と価値観から離れることです。新しい創造となるためには、イエス・キリストを通して新しい世界のものである永遠の命と愛を求めなければなりません。

2021年11月15日

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