2021/04/12 (MON)

チャプレンより聖書のことば

それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」
(ヨハネによる福音書第20章27~29節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン べレク・スミス
イースター(復活日)の翌週の日曜日は毎年、聖トマスがイエスの復活を信じなかったことに関する箇所を読みます。イエスは十字架にかけられる前から、自分が死んだあとに復活をすることを弟子たちに繰り返し伝えていましたが、弟子たちは一人残らず、それを信じなかったのです。イエスが十字架にかけられたとき、弟子たちはイエスから離れ、イエスが救い主(メシア)ではないと考え始めました。救い主が死ぬことはあり得ないと考えていたからです。しかし、イエスは死ぬことによって人々を罪から救い出すことをすでに弟子たちに伝えていましたし、復活することも伝えていました。

イエスが復活したあと、まずはマグダラのマリアに現れました。そして、それを聞いたペトロとヨハネはイエスが埋められていた墓まで走っていきましたが、その墓は空っぽでした。それを見た二人は復活をすぐに信じたわけではなく、その後、イエスが彼らに直接現れたときに初めて復活を信じるようになりました。しかし、イエスがペトロとヨハネと他の弟子たちに現れたときに、そこにはトマスはいなかったのです。多くの弟子たちから復活の話を聞いたトマスは、自分の指をイエスの手の釘の穴に入れ、手をイエスが槍で刺されたわき腹に入れなければ信じないと言いました。おそらく、まったく復活を信じるつもりはなかったのでしょう。しかし、イエスはそのトマスに復活した八日目に現れ、冒頭の言葉に書いてある通りに語り掛けました。

復活は簡単に信じられる話ではありませんが、キリスト教の一番大切なものの一つです。わたしがアメリカのフロリダ病院でチャプレンをしていたとき、「臨死経験」をした何人もの人たちと直接話すことができました。その中の一人の人は、彼が16歳のときに陸上部のトレーニングで朝早くラニングしていたとき、車にひかれてしまいました。気を失ったとき、彼はまず自分の体を上から見ました。そして、彼のところに天使が来て、彼を連れ去りました。たどり着いたのが大きな光輝く街で、もう一つ、暗い道がありました。光り輝く街の入り口に来た時に、天使は彼にその街に入りたいか入りたくないか訪ねました。彼は、一人っ子で母と二人で暮らしていたので、彼は、「母の面倒を見ないといけないので帰ります」と答えると、救急治療室で意識が戻りました。彼のような臨死経験をしている人は数多くいます。そして、彼らの証言は、わたしたちが今、目で見える世界がすべてではないことを証明していると思います。死んだときにすべてが終わるのではなく、そこから魂が次の世に行くということは、聖書だけではなく、多くの臨死経験者が語ることではないでしょうか。

2021年4月12日