2021/05/24 (MON)

チャプレンより聖書のことば

突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
(使徒言行録第2章2~4節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン 石田雅嗣
主イエスが復活された日から数えて、50日目を「聖霊降臨日」と言います。教会の暦では、クリスマス、イースターに次いで大事な祝日とされていて、5月23日はこの聖霊降臨日でした。使徒言行録第2章によりますと、この50日目の日に、弟子たち一同が集まっていると、今週の聖書の箇所の出来事が起こり、あらゆる国の人に福音が伝わってしまったっていう出来事が語られています。いい出来事です。障害を越えていく聖霊の働きそのものです。パルティア、メディア、エラム、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネ、リビア地方、ローマ、クレタ、アラビア。各地から来た大勢の人たちがみんな、弟子が神の救いについて語ったことを自分の国の言葉で聞いてしまったとあります。「通訳が必要では」なんていう心配の必要なし、まさに聖霊に壁なし限界なしということです。変わる必要がないのです。「一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」からです。

教会では、父なる神、子なる神イエス・キリスト、聖霊なる神を信じます。

父なる神は、目には見えませんが、お祈りする先におられる方、全知全能の方で、世界を、宇宙を支配しておられる方、生命の源、そして、主イエスが父よと呼びかけ、指さしておられる方という感じで何かわかるような気がします。

神の子である主イエスは、人間の姿を取って、この世に来られた方、十字架に架けられ、死んで復活された方、私たちと同じように、人間の歴史の中に実在された方。私たちは直接お会いしたことはありませんが、いちばん頭の中に思い描きやすい方です。

ところが、聖霊なる神は、神と主イエスから出る、目に見えない大きな力というか、形がありませんので、いちばんイメージしにくい神です。「聖霊」は、どのようなものかということを、頭の中で考えることは難しいことです。しかし、聖霊が私達のうちにいるということは、頭で考えることではなく、体で感じることです。「霊」の原語での意味は「空気の動き」であって「息・風・霊」と訳されていますので、聖霊は「聖なる息」とも翻訳できます。これなら体感することができます。私達は、神様から息をいただいているということです。ですから、安心して呼吸して、ありのままで生きていて良いということです。安心して呼吸して良いと言われてみても、いろんないやな思いとか辛い思いを抱えて、「でもやっぱり変わらなきゃ」と思っているかもしれません。しかし、安心してください。健康だろうが病気だろうが、長生きだろうが、短命だろうが、大人だろうが、子どもだろうが、聖霊は必ずすべての人の中にあります。そして、このことは、今近くにいる相手の中にもあるということです。いやいやあの人とは理解し合えないと思わないでください。聖霊は、あらゆる壁を越え、どんな障害も憎しみも越えていくことができます。なぜなら、相手も必ず聖霊が宿っているからです。このことに信頼してみてください。疑うようであれば、その人も息をしていることを思い出してみてください。イエスの弟子たちも、そのことを信頼し、自分を殺すかもしれないユダヤ人や様々な地域の人々の中にある聖霊に信頼して、伝道をし、何千人という人たちが、その教えを聞いて、イエスの弟子となったと使徒言行録に記されています。このことから、この聖霊の降臨を記念する日は、教会の出発の日、教会の誕生日だとも言われています。このよき日に、自らのうちに聖なる霊が働いているということに気付いて安心し、そして、自分の周りにいる人々も聖なる霊が働いているということを思い巡らしていきたいと思います。

2021年5月24日

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