2021/06/28 (MON)

チャプレンより聖書のことば

「七年目の負債免除の年が近づいた」と、よこしまな考えを持って、貧しい同胞を見捨て、物を断ることのないように注意しなさい。その同胞があなたを主に訴えるならば、あなたは罪に問われよう。彼に必ず与えなさい。また与えるとき、心に未練があってはならない。このことのために、あなたの神、主はあなたの手の働きすべてを祝福してくださる。この国から貧しい者がいなくなることはないであろう。それゆえ、わたしはあなたに命じる。この国に住む同胞のうち、生活に苦しむ貧しい者に手を大きく開きなさい。
(申命記第15章9~11節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン べレク・スミス
古代イスラエルに与えられたモーセの律法では、お互いへのお金の貸し借りに利息を付けてはならない上に、どんな負債でも7年目には免除しなければならないと定められていました。この律法の前提となっているのは、借りる方は大きな事業などのためではなく、個人や家族として貧しくなったから借りているということです。そのような状況に陥った人がお金を借りたいと言ってきたとき、お金を貸さなくても法的な罰はありません。しかし、その人が神に訴えるのであれば、神に対する罪として見なされると書いてあります。逆に、貧しい状況にいる人に惜しみなく貸すことは神を喜ばせ、神の祝福を伴うこととされています。

この律法はもちろん、「隣人を自分のように愛しなさい」というモーセの律法の大原則に沿った律法ですが、7年目の負債免除もあり、社会への影響も大きいのです。モーセの律法での社会保障の一部分であるこの律法は、人と人との関係性を考えさせるものでもあります。借金を抱えている人は自由ではありません。エジプトで奴隷状態にいたイスラエルの民を自由へと導きだしたモーセは、再びイスラエル人が束縛されながら生きることがないように、今でも古代の世界でも考えにくいようなお金についての法律を定めています。

しかし、モーセの律法、そして神の教えというのはただ単に法律で定められたものとして捉えるのであれば、それも間違いです。この律法の真髄は、同胞への憐みと心からの寛大さを持つことです。モーセとイエスは「隣人を愛しなさい」ではなく、「隣人を自分のように愛しなさい」と教えています。そのためには、「これぐらいでいいでしょう」という思いではなかなか足らないのです。同胞の苦しみに対する情熱、焦り、そして身を削る行動が求められています。そうでもなければ隣人を「自分」のように愛することにはなりません。隣人を愛する人は多くいますが、隣人を自分のように愛する人はどれほどいるのでしょうか?

現代社会では、お金の割り当て方に自分の価値観と優先順位が表れてしまいます。お金が夫婦喧嘩の一番の原因となるのも、そこにある価値観の違いや優先順位の違いが表れているからです。わたしたちが家族をはじめ、隣人をどのように愛しているか、そして、お金で解決できる隣人の苦しみに対してどこまでわたしたちができるのか、このことを一人ひとりが自分に問わなければならないのです。

2021年6月28日

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