2022/01/10 (MON)

チャプレンより聖書のことば

そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。」民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。
(ルカによる福音書第3章16、21-22節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン べレク・スミス
キリスト教の暦では1月6日に顕現日という日があり、キリスト教の暦では最も重要な祭日の一つです。しかし、正月明けの平日に当たることが多く、日本ではあまり祝われないのです。顕現日には複雑な歴史があり、地域によって主旨が少し異なることがありますが、イエスの誕生、三人の東方の博士、イエスの洗礼とイエスのカナでの奇跡を祝う日です。20世紀の後半から、キリスト教の暦では顕現日の次の日曜日がイエスの洗礼を祝う主日として定められました。

イエスの洗礼はわたしたちにとって大きな意味を持ちます。わたしたちのようにこの世に産まれてきたイエスは、この世の汚れから自分を洗い清められました。このような清めの儀式は日本に古来ある宗教でもよく見られます。胎内めぐりもキリスト教の洗礼によく似た儀式です。しかし、キリスト教の洗礼は人生に一度しか行わない儀式です。それは、シャワーのような身体を洗うことが目的ではなく、魂を清めることと神の子となる(養子となる)ことが目的だからです。何度も養子にされる必要はなく、洗礼は一度だけ、自分の神との関係を作り変える結婚のような儀式なのです。洗礼という儀式は、わたしたちが罪人であることが前提となっています。そして、罪人である人間が神から離れている現状を正すための第一歩です。世界を罪と心の闇から救うためにこの世に産まれたイエスは、自分の救世主としての働きを始めるに至り、世界と人々のために洗礼を受けました。そして、神の子であるメシアとして人々を罪から救うための宣教の働きと癒しの働きを始められました。

わたしたち人間の多くは、罪から救われることよりも、罪から生じる悪い結果や影響から救われることを求めることが多いです。つまり、自分の高慢や妬みから救われることよりも、その高慢や妬みから生じる人間関係の問題から救われたいと思うことが多いのです。イエス・キリストの示した救いの道はわたしたちを罪そのものから救うための道であり、罪の結果や影響よりはるかに大きなことです。わたしたち人間も、罪そのものから救われたいのであれば、まずイエスの模範に従い、洗礼を受け、新しく神の養子として歩まなければなりません。

2022年1月10日

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