2022/02/21 (MON)

チャプレンより聖書のことば

「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。」
(ルカによる福音書第6章27~28節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン べレク・スミス
「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉はよく耳にします。イエス・キリストに限らず、他の人も教えています。「隣人を愛していますか」と生徒に聞くと、大体の生徒は愛していると言います。ただし、同じ生徒に「敵を愛していますか」と聞くと「愛していない」とか「愛さなくてもいい」とか「敵なので愛せない」などの反応が殆どです。隣人を愛すべきであるという人は多くいるのに、冒頭にある「敵を愛しなさい」という教えは必要ではないと考える人が多くいます。

考えれば分かることだと思いますが、「敵」というのは基本的に「隣人」です。戦争をする国の殆どは隣同士にある国です。ロシアとウクライナがいま問題になっているのも隣同士にいるからです。戦争の殆どは隣同士との戦争ですし、民族や国同士の敵意は殆ど隣同士との問題になります。個人としての敵も、全くの他人ということは殆どなく、友人、仕事場の同僚、同じ部活の生徒、兄弟、夫婦などで敵意が生じます。近くにいるからこそ問題が生じることが殆どです。他人と接点がない限りは問題も起きません。従って、我々の「敵」と思えるような人は「隣人」でもあるのです。このことに気づかないで「隣人は愛しているけど敵は愛していない」と言う人もいます。イエスはこのような人に対して次のことを言っています。「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。」(ルカによる福音書第6章32~33節)殆どの人は自分を大切にする人を大切にしようという思いで止まってしまいます。これではマフィアの家族や暴力団と考え方は変わりません。

敵を愛さない限り、隣人を愛することもできませんし、一旦、隣人や家族との関係が崩れた時にそれを修復することが不可能になってしまいます。自分を愛する人だけを愛するのであれば、この世界の最善としては現状維持しかありえないのです。しかし、イエスの教えのように、敵を愛することによって、はじめて世界の状況がよい方向に向かうことができるのです。これは国同士の問題であっても個人や家族の問題であっても同じ原則です。

敵をどのように愛すべきかはとても知恵が必要な課題です。人を愛することと人を信頼することは同じではないですし、どんな人でも同じように愛しなさいと言っているわけではありません。自分の子どもと会社の同僚を同じように愛することはなかなか難しいと思います。ただし、相手が自分の敵であろうと、相手の祝福を祈ることはできますし、相手を傷つけないように気を付けることもできます。相手の悪口を言わないことなど、敵を愛することは、普段からさまざまなところでできます。敵を愛する人ほど信頼できる人はいないでしょう。

2022年2月21日

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