2022/04/11 (MON)

チャプレンより聖書のことば

ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて呼びかけた。しかし人々は、「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫び続けた。ピラトは三度目に言った。「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった。
(ルカによる福音書第23章20~23節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン べレク・スミス
キリスト教の暦のイースターは太陽暦の観点から、毎年移動をします。殆どの場合、イースターは学校の入学式と同じか少し後に祝います。今年のイースターは4月17日と遅めのイースターです。イースターの前の一週間を聖週と呼び、今年は4月10~16日にあたります。そして、4月10日(復活前主日)には、イエスが最後にエルサレムに入城するときから十字架に掛けられるところまでの聖書箇所を朗読します。J.S.バッハの『マタイ受難曲』や『ヨハネ受難曲』をご存じの方もいるかと思いますが、このような受難曲はもともと中世の時代から聖週に行われていた受難劇を基にしています。受難劇では祈りや聖歌と共に、みんなでイエスが十字架にかかるまでの道をたどっていきます。

ルカによる福音書だけでなく、マタイ、マルコやヨハネによる福音書でもそうですが、イエスがエルサレムに入城するときには民衆から大歓迎されます。自分たちをローマ帝国の弾圧と支配から救うメシアがやっとエルサレムに来たと信じていた人も多くいました。しかし、聖週が進むにつれて、イエスがローマ帝国に対して反乱を起こす様子が一つも見られないまま時が進んでいきます。自分の弟子たちをはじめ、ユダヤ人全体の期待を裏切ったイエスは、聖週の木曜日の夜に弟子たちと食事をしたのちに自分の弟子に裏切られ、偽りの証言によって十字架の道を行くことになります。自分たちの思うような救いをもたらさないが故に、イエスをすぐに裏切る人間の心には、毎年考えさせられるところがあります。

イエスが民衆の期待に応える人であると信じられていたときには、民衆は彼の賛美を口にしますが、イエスがみんなの期待を裏切ったときには急に十字架の死にまで追い込まれます。神のご計画とわたしたちの考えが同じになるはずもないのですが、そのために多くの人は神を侮り、裏切り、神に遣わされたものを非難します。多くの人は神仏に祈るとき、その神仏の力を借りて自分の思い通りにさせたいから祈ることがあるかと思います。自分の思い通りにならないと違う神のところに行って同じ祈りをする人もいます。聖書の神はこのような神ではありません。聖書の神はイエスのように、民衆にもこの世の権力にも振り回されない神ですが、そのため、ときには人間に無視され、憎まれ、侮られる神でもあります。

2022年4月11日

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