2022/07/11 (MON)

チャプレンより聖書のことば

「どこかの家に入ったら、まず『この家に平和があるように』と言いなさい。平和の子がそこにいるならあなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へ渡り歩くな。どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。」
(ルカによる福音書第10章5~9節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン 倉澤一太郎
「どこかの家に入ったら、まず『この家に平和がありますように』と言いなさい」と、「その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい」は当時の習慣を考えますと非常に困難な命令です。イエスの弟子たちはユダヤ人です。ユダヤ人は伝統的にユダヤ教を信じていない人との交流を嫌う傾向が強く、祭司や律法学者など戒律に厳格な人になると異民族や異教徒との交わりを「穢れ」と見做すほどです。ですが、当時のユダヤはローマの支配下にあり、またイスラエル王国の分裂によって異なる道を歩んで敵対関係となったサマリヤ人の集落も身近にあり、弟子たちが遣わされた先がユダヤ人の集落であるとは限りません。弟子たちを迎え入れたくれた家族がユダヤ人でなかったとしたら、彼らは「この家に平和がありますように」と祝福できるのでしょうか。大変難しい問題です。またユダヤ教の戒律には豚や鱗のない魚など、食べてはいけない食物の規定があります。迎え入れてくれた家がローマ人やギリシア人で、旅人を歓待するつもりで精一杯のごちそうとして豚やウナギ、イカやタコの料理を用意してくれたとしたらどうなるでしょうか。弟子たちが律法を遵守するならば出された料理を断らねばなりませんが、それは迎え入れてくれた人の思いを無にすることになります。

イエスの命令は迎え入れてくれた人の思いを大切に受けとめ、たとえ戒律を破っても交わるようにとの指示です。ユダヤ人にとって戒律を守って生活することは神との契約であり、アイデンティティにも直結する重要事項であったことを考えるとイエスの指示は非常に挑戦的と感じられます。ですが、この指示があったがゆえに、イエスの教えはユダヤ人のみに留まらず、民族の垣根を越えて全世界へ伝えられることが可能になったと考えます。穢れを厭うがゆえに食べてはいけない食物を定めている宗教は少なくなく、それが障壁となって交流どころか接触すら避けていたという話は人類の歴史にも珍しくありません。それぞれの民族が大切に伝えてきた宗教や文化に基づく慣習は大切であるがゆえに、時には交わりを拒む隔ての壁になることが少なくありません。個々人のレベルにおいても、自分が大事にしている価値観などが他者との交わりを邪魔する壁となることは珍しくありません。イエスは神の思いと自分の思いでは優先されるべきはどちらなのかを問われ、交わりを阻む壁を破ることを望んでおられます。

2022年7月11日

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