「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄遣いしていると、告げ口をする者があった。そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。」
(ルカによる福音書第16章1~9節)
立教新座中学校・高等学校チャプレン 倉澤一太郎
「不正な管理人」と語られているため不正行為の推奨と誤解し易いのですが、イエスが語られたのは「不正にまみれた富」の使用です。では、不正にまみれた富とはどんな富でしょう。管理人の独断による借り=負債の免除が不正なのでしょうか? ユダヤ教の定めでは金銭の貸借において利益を得ることを認めていません。当時、定められた数量の産物を納めるのは領主への納税か地主への地代が一般的ですので、主人は領主か地主で、管理人はその代官と推察されます。そうしますとこの話は領主の代官によって負債の免除=税の減免が行われたことになり、管理人の行為は不正に見えますが職権の範囲内です。注目すべきは税の減免が生み出す効果です。税を減免された人々=領民たちが管理人に好意を寄せることはまず間違いありませんが、彼に減免を指示したと受け取られる主人に対してはより大きな感謝の思いを抱くはずです。主人の慈悲深さを讃え、これまで以上の忠誠の思いを抱くようになるでしょう。管理人は主人に損をさせたように見えますが、領民からの忠誠を主人に得させたうえに関係者全員に幸福をもたらすはずです。
富とは人間が他者と出会い、交わりを深める際に使う道具として神から授けられたものです。不正な富とは神が意図された本来の用途に活用されずに眠っている富のことで、これを活用して沢山の友人を助け、共に神に感謝を献げる関係を築き拡げなさいとの意味ではないかと考えますし、神の意図される幸せな交わりのために用いることこそ本来の正しい富の在り方なのです。
2022年9月19日
富とは人間が他者と出会い、交わりを深める際に使う道具として神から授けられたものです。不正な富とは神が意図された本来の用途に活用されずに眠っている富のことで、これを活用して沢山の友人を助け、共に神に感謝を献げる関係を築き拡げなさいとの意味ではないかと考えますし、神の意図される幸せな交わりのために用いることこそ本来の正しい富の在り方なのです。
2022年9月19日
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