2022/10/11 (TUE)

チャプレンより聖書のことば

イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」
(ルカによる福音書第17章14〜19節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン ベレク・スミス
ルカの17章でイエスが重い皮膚病を患っている10人の人を癒す話があります。彼らはその場で癒されたのではなく、その場から離れ、司祭のところに行く途中で癒されました。10人のうち、1人だけイエスのところに帰って来て感謝をし、神を賛美するものがいました。彼は外国人で、他9人はイスラエル人だったのです。この短い話には多く考えさせられることがありますが、その中から二つのことについて取り上げたいと思います。

まず、イスラエル人ではないサマリア人のみがイエスに感謝をしたことです。イエスのことはすでにイスラエル人の間ではかなり知られていたのです。そして、この10人はイエスの話を聞いていたので、イエスに癒されるため、呼び掛けたのです。イスラエル人たちは、自分たちが神に選ばれた民であることもあり、どこかで癒されて当然と考えてしまうところがあったのではないでしょうか。身内に優しくされても何とも思わないことはありませんか? 毎朝お弁当を準備してくれる母親に文句を言う人もいます。身内だと「やって当たり前」となってしまうことがあります。この問題はどの時代にもあり、一番大切な人間関係を大事にしないことにもつながります。この点に気が付かなければなりません。

もう一つはあまり注目されない点です。イエスが10人の病気を癒されましたが、この話のなかで救われたのは1人だけです。身体の病気が癒されることしか考えていない人はその病気から癒されることはあっても、魂が救われるとは限りません。イエスがこの世に産まれてきたのはただ単に病気を癒すためではありません。人の魂を神に向け、彼ら救うためです。10人が癒される話は感謝をするかしないかだけの話ではありません。感謝をする人が救われる話です。キリスト教のミサのことを「ユーカリスト」とも言います。ギリシア語の「感謝する」と言う言葉が由来です。イエスの弟子たちとして最も行うべきことは神に感謝し、神を賛美することです。感謝することに重きをおき、人生を送ることが当然のこととなるべきです。そして、信仰を持って生きるわたしたちは、この世の中でどんな苦しみや困難があろうとも、どんな病気になろうとも、それ以上の罪からの救いと永遠の命が与えられていることに感謝を持って生きることができるのです。困難がないから感謝するのではなく、困難のうちにあっても感謝できるのがイエスの弟子である証なのです。

2022年10月11日

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