2022/11/07 (MON)

チャプレンより聖書のことば

さて、人々は、イエスの言葉じりをとらえて陥れようとして、ファリサイ派やヘロデ派の人を数人イエスのところに遣わした。彼らは来て、イエスに言った。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てせず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか。」イエスは、彼らの下心を見抜いて言われた。「なぜ、わたしを試そうとするのか。デナリオン銀貨を持って来て見せなさい。」彼らがそれを持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らが、「皇帝のものです」と言うと、イエスは言われた。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らは、イエスの答えに驚き入った。
(マルコによる福音書第12章13~17節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン 倉澤一太郎
質問者たちはイエスが税を払えと言えば律法に反した冒涜者として、払わなくてよいと言えば皇帝への反逆者として告発・処分しようと図りました。どちらの答えでもイエスを破滅させる一見完璧な罠を用意したように見えますが、イエスの答えは策謀者たち自身の不勉強を指摘するものでした。金や銀に代表されるさまざまな資源は神が創られた神のもので、私たち人間の交わりで使うようにと授けてくださったものに過ぎないと聖書は教えています。多く持つ者と少なく持つ者の存在は、多く持つ者が少ない者や持たない者と分かち合い、助け合う交わりができるようにと神がわざわざ差をつけられたのだと解釈できます。また、税金も個人の力ではできないような大きな事業を多くの人が少しずつ出し合うことで実現させるためのもので、これも私たちが協力し合うためのものと言えます。税金を支払うか支払わないかは、自分たちがそれを必要な支出と考えるかどうかの問題ですので、律法に適うか適わないかという神の問題に絡めることは筋違いも甚だしいと言えます。

イエスは、皇帝が自分の肖像と銘を刻み込んだ貨幣を自分のものだと主張するなら返してやるがよい。そのうえで皇帝が神の意に適う使い方を選ぶように忠告すれば多くの人が幸せになれる。それよりも大事なことは神の肖像が刻まれた貨幣、人間が神のものであることを忘れてはいけないと言われたのです。当時の貨幣は同じ重さになるよう計り切られた地金を肖像や銘を刻んだ刻印で打つことで作られます。それぞれの貨幣の重さは同じですが、打つ工程のために形も厚さも同じものにはなりません。それでも皇帝の肖像と銘が刻まれたことによって同じ価値を保証されて使われます。イエスがわざわざ貨幣を見せて話されたのは、神の似姿として創造された人間もさまざまな個性があり、この世に同じ存在はいない。でも、神の肖像が刻まれた貨幣同士は神の前に同じ価値を有することを忘れてはいけない。また、神の貨幣として神の国の実現のために使われることを思い出しなさいとの意からでしょう。

2022年11月7日

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