イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。
(マタイによる福音書第3章16~17節)
立教新座中学校・高等学校チャプレン 倉澤一太郎
1月6日の顕現日(エピファニー)は救い主が東方の占星術師たちに拝礼された出来事を記念しますが、古代教会ではイエスの洗礼の出来事こそが、この世に来られた救い主=真の王の顕現(エピファネイア)だと捉えていました。エピファネイアは即位した王や皇帝の初行幸(訪問)を指す言葉で、古代世界では即位した王や皇帝は重要な都市を訪問し、自分が新しい統治者であることを民に示していました。これは神命を受けた統治者が治める地を踏むことによって国土を鎮めて安寧をもたらす呪術的な意味もあり、正当な統治者として認知されるためにも大事な行事だったようです。その意味では都市を訪問してお披露目を済ませることが即位式の完遂を意味していたと言えます。また、王や皇帝のお披露目は盛大な行列を組んでの入城行進がメインであったとみられ、メソポタミアやエジプトなどでは多くの神官が、ローマなどでは多くの兵士が統治者につき従いました。行列の主体が神官であれば神殿の権威や神官団の財力が、兵士であれば武力が新統治者の権力の基盤であることが示され、それらを背景に私がお前たちの新しい主人だと宣言したのです。
一方、この世に来られた神の独り子イエスの生涯を通して示されたのは人を生かし、この世を救う方法です。古代のキリスト者はこの世を滅びから救い神の国へと戻すためには、神ご自身が「わたしの愛する子、わたしの心に適う者」と宣言された御子イエスを通して伝えられる神のみ言葉に従うことが唯一の方法であり、イエスの洗礼の出来事こそが神が世の人びとに救い主をお披露目してくださった真王のエピファネイアだと主張したのです。
富や暴力によって人びとを支配したあげく、虐げて苦しめるような統治者たちは神の意にかなう本当の統治者ではありません。神が示される本当の統治者、私たちの救い主は神が良しとされる人の生き方や人との交わり方を語り、実践して見せてくださったイエスです。
振り返れば2022年は富や暴力に頼る一部の人たちによって世界中が振り回された年でした。遠い場所で起きているから自分とは関係ないと思っても、その影響で自分の生活がいつの間にか苦しくなるなどの体験から、世界と自分とが繋がっていることを改めて知る機会となったように感じます。逆に考えれば、何気ない日々の自分の言動が周囲に影響を与え、その結果が世界を動かすこともあり得るということです。世界を良い方向へ軌道修正するため、先ずは神のみ言葉に耳を傾けて自分と他者との交わり方から検証しましょう。
2023年1月16日
一方、この世に来られた神の独り子イエスの生涯を通して示されたのは人を生かし、この世を救う方法です。古代のキリスト者はこの世を滅びから救い神の国へと戻すためには、神ご自身が「わたしの愛する子、わたしの心に適う者」と宣言された御子イエスを通して伝えられる神のみ言葉に従うことが唯一の方法であり、イエスの洗礼の出来事こそが神が世の人びとに救い主をお披露目してくださった真王のエピファネイアだと主張したのです。
富や暴力によって人びとを支配したあげく、虐げて苦しめるような統治者たちは神の意にかなう本当の統治者ではありません。神が示される本当の統治者、私たちの救い主は神が良しとされる人の生き方や人との交わり方を語り、実践して見せてくださったイエスです。
振り返れば2022年は富や暴力に頼る一部の人たちによって世界中が振り回された年でした。遠い場所で起きているから自分とは関係ないと思っても、その影響で自分の生活がいつの間にか苦しくなるなどの体験から、世界と自分とが繋がっていることを改めて知る機会となったように感じます。逆に考えれば、何気ない日々の自分の言動が周囲に影響を与え、その結果が世界を動かすこともあり得るということです。世界を良い方向へ軌道修正するため、先ずは神のみ言葉に耳を傾けて自分と他者との交わり方から検証しましょう。
2023年1月16日
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