2023/01/23 (MON)

チャプレンより聖書のことば

さて、兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告しす。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。わたしの兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました。あなたがたはめいめい、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」などと言い合っているとのことです。キリストは幾つにも分けられてしまったのですか。パウロがあなたがたのために十字架につけられたのですか。あなたがたはパウロの名によって洗礼を受けたのですか。
(コリントの信徒への手紙一第1章10~13節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン ベレク・スミス
ギリシアにあるコリントの町は貿易が盛んな町で、様々な人種や文化の人々が住んでいました。そこでパウロが教会を設立したとき、みんなで一つの教会になることも難しかったのだろうと推測します。しかし、多くの人がイエスの名によって洗礼を受け、イエスの弟子となった町であり、今でもギリシアの教会の最も重要な教区の一つです。冒頭で引用したパウロの手紙に出てくる「アポロ」がコリントの教会の最初の主教になったと思われています。

コリントの教会ですぐに派閥が生じたことがパウロの手紙から分かります。人間が作る組織というのはどうしても似た者同士の組織になります。特に自分の意志で入ることを決めるようなグリークラブやカントリークラブは似たような収入や社会的地位を持った人が入ることが一般的です。しかし、教会はそうではありません。最初からギリシアの教会では奴隷も自由人もいましたし、女性も男性もいましたし、ギリシア人もユダヤ人も一緒に礼拝をしていました。そのような組織に自ら入っていくことは、当時のギリシアでは殆ど前代未聞だったかと思います。同じ主イエス・キリストにあって結ばれていた人たちとして教会に入っているものの、中々一致ができないまま、教会の外にある価値観や区別をもとに派閥や分裂が起きてしまいました。コリント人への手紙を読むと、教会でも一緒に食べない人がいたり、一緒に交われなかったりした人もいました。

教会というのはこの世の価値観や隔てを断ち切って入るものです。そして、さらに、イエスにあって一致を求めるところです。同じ神の国を建てるために働く同僚として互いを愛し合い、励まし合い、時には戒め合うことが必要です。そして何よりも、互いを赦し合う必要があります。互いを赦し合うことができない人たちが多くいますが、そのような人はイエスの弟子になることはできません。罪や間違いを犯すのは皆一緒ですから、それを赦し合って心を合わせるのが教会です。互いに争い合っている限り、人々にイエスの福音を伝えることもできないでしょう。

2023年1月23日

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