「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」
(マタイによる福音書第5章3~12節)
立教新座中学校・高等学校チャプレン 倉澤一太郎
「幸いな人」について列挙されていますが、心の貧しい人々や悲しむ人々のようにどうして幸いなのか私たちの頭を悩ませるものが含まれています。およそ福音書に記されたイエスの教えは、後世の人間には言葉が足りないように感じることが多く、文字通りに理解しようとすると誤解し易くなっているかのようです。神から考える力をあなたたちは与えられているのだから与えられた力を十分活用しなさい。先祖からの言い伝えや偉そうにしている人の教えをただ受け継ぐのではなく、自分で考えて理解・実践しなくては神から授けられた賜物を腐らせかねないと、イエスはあえて言葉足らずに語られたように感じます。
「貧しい」とはどういう状態か。そこがポイントでしょう。自分には生きる上で何かが不足していると自覚せざるを得ない状態に置かれていると考えます。ある人にとっては日々の食物が無い状態であり、また食物を得るための元手である金銭が無い状態が貧しいです。イエスがあえて明言されなかった不足とは当時のユダヤ人が最も欲していたモノ、安心して日々を生きるための神の助け、神が共にいてくださることです。先祖たちの神への背きのために自分たちは神から見捨てられたと信じる当時のユダヤ人にとって、何よりも欲しいものは神の助けに他なりません。神を求めて満足できない状態こそ心が満ち足りていない状態、心が貧しい状態です。イエスがこの世に来られたのは、神を求めて止まない人を神は決して見捨てられないことを伝えるためであり、イエスを通じて天の国をこの世に生み出す方法を教えるためでした。この世に天の国を生み出すに際して神が求めるのが心の貧しい人であり、悲しむ人や柔和な人なのです。悲しむ人とは自分のことで悲しむ人ではなく、他者の窮状を見て悲しめる人。柔和な人とはただ優しいのではなく、不正義を見て怒ることができる人で、また怒りを引きずらない心の切り替えができる人です。天の国がこの世に現れるにはそのような人々の働きにかかっているよ、と教えておられます。
2023年1月30日
「貧しい」とはどういう状態か。そこがポイントでしょう。自分には生きる上で何かが不足していると自覚せざるを得ない状態に置かれていると考えます。ある人にとっては日々の食物が無い状態であり、また食物を得るための元手である金銭が無い状態が貧しいです。イエスがあえて明言されなかった不足とは当時のユダヤ人が最も欲していたモノ、安心して日々を生きるための神の助け、神が共にいてくださることです。先祖たちの神への背きのために自分たちは神から見捨てられたと信じる当時のユダヤ人にとって、何よりも欲しいものは神の助けに他なりません。神を求めて満足できない状態こそ心が満ち足りていない状態、心が貧しい状態です。イエスがこの世に来られたのは、神を求めて止まない人を神は決して見捨てられないことを伝えるためであり、イエスを通じて天の国をこの世に生み出す方法を教えるためでした。この世に天の国を生み出すに際して神が求めるのが心の貧しい人であり、悲しむ人や柔和な人なのです。悲しむ人とは自分のことで悲しむ人ではなく、他者の窮状を見て悲しめる人。柔和な人とはただ優しいのではなく、不正義を見て怒ることができる人で、また怒りを引きずらない心の切り替えができる人です。天の国がこの世に現れるにはそのような人々の働きにかかっているよ、と教えておられます。
2023年1月30日
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