2023/03/20 (MON)

チャプレンより聖書のことば

しかし、主はサムエルに言われた。「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」
(サムエル記上第16章7節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン べレク・スミス
人間の目に映ることは表面的なものにすぎません。聖書では古代からこのことが指摘されています。多くの人間は身体の五感で感じ取れるものを中心に人生を歩んでいます。どんな洋服を着るか、どこに住むか、どんな自動車を買うか、また、自分がどのくらい美人に見えるのか、人から見てどうなのかを最も気にする人が多いです。このようなことばかり気にしているのであれば、天の国からは程遠いものです。

聖書で大切とされていることは、一貫して、目では見えないものばかりです。愛、信仰、希望、知恵、識別、霊など、聖書で最も大切とされていることは、どれも目で見えるものではありません。そして、そのどれも、目では見えない聖書の神の性質を表すものでもあります。

人間は目で見えるものにとらわれてしまう傾向が強いにも関わらず、目で見えるものや手でさわれるもので満たされることはありません。多くの人間は、お金で買えるものや手で触れるものを通して幸せを求めているのですが、どれも最終的に満足をさせるものではありません。人間が満たされるためには確かに目で見えるものが伴わなければならないのですが、それだけではないに等しいのです。

神は目で見えることのみで物事を判断せず、人の心を見抜いて判断をします。だから、神が選ぶことは人間が選ぶことと異なってきます。サムエル記16章のことばは、神がダビデを王として選んだ箇所から取っています。神は人の心で判断をするので、人の見た目ではなく、人がどこまで愛、信仰、希望、知恵、識別などを持っているかで判断するのです。人間がいくら頑張っても神のように人の心を判断することはできませんが、人間は神の知恵をある程度学ぶことはできます。そのために、箴言や他の知恵の書という書物が書かれました。

自分で努力して知恵を絞って成長していくことは、ユダヤ教やキリスト教で教えられているものではありません。自分の考えと心を神のことばに従わせ、神からの霊を通して神の知恵と識別を学ぶことによって、人間として少しだけ人の心を判断する知恵が与えられるのです。このような知恵は祈りと聖書のことばと教会の教えを聞き従うことによって身に付くのです。

2023年3月20日

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