2023/07/03 (MON)

チャプレンより聖書のことば

「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」
(マタイによる福音書第13章24~30節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン 倉澤一太郎
米栽培を主としてきた日本で毒麦は耳慣れない言葉ですが、麦栽培を主としてきた地域では人々を悩ませてきた食中毒の原因です。麦の実が麦角菌に感染することで毒を生じさせるものと、毒を生じさせる内生菌の宿主となる麦類の擬態雑草ドクムギによるものとの、二つのケースがあるようですが、いずれにせよ人の口に入れば循環器や神経系にダメージを与えて精神異常や流産を引き起こし、死に至らしめることもあったようです。

僕たちが主人に「抜き集めておきましょうか」と提案するのも、毒麦の害が自分たちだけではなく売却などによって村の外で食中毒を起こした場合、あの村の麦は危険だと噂されて沈静化するまで買手がつかなくなり、村全体に長期の経済的打撃を与えることが予想されたからです。将来に渡って困窮する危険性を考えれば、多少の収穫を犠牲にしたとしても毒麦を駆除することを選ぶのは当然の選択であり、最悪の場合は毒麦の生えた畑全体を焼き払うということもあったでしょう。

譬えの「収穫まで待つ」との主人の答えを聞いた当時の聴衆はおそらく驚愕したものと予想します。解き明かしによれば畑は世界で、良い種は御国の子、毒麦は悪い者の子です。譬えの主人=神は、悪い者を滅ぼすために良い者を一人でも犠牲にすることを望まれる方ではないことをイエスは教えておられます。また良い麦が良い人、毒麦も悪い人であればどうでしょう。麦が麦角菌に感染して毒を生じるように、良い人が悪人に変わることもありますが、悪人が回心して良い人に変わる可能性も十分あります。イエスは悪人を滅ぼすために誰かが巻き添えになることを神は良しとされないばかりか、たとえ悪人であっても失われるのを惜しまれ、回心して生き直すことを望んでおられる、それほどに人を愛してくださる方なのだと語られているのです。だからこそ人間は神の畑の働き人として良い人が良い人のままでいられるように、また悪い人を回心させて良い人に変えることができるように、互いに導き支え励ます働きを求められているだけでなく、神の一人も犠牲にしないという望みを私たちも共有することをイエスは求めておられます。

2023年7月3日

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