2023/10/02 (MON)

チャプレンより聖書のことば

「ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」
(マタイによる福音書第18章23~34節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン 倉澤一太郎
ペトロが自分に対して罪を犯した者を何回赦すべきかをイエスに尋ねた際に、彼が7回赦せば良いかと提示するとイエスは7の70倍赦せと教えますが、イエスの真意は490回赦すことではなく、赦すことを数えるな、その都度赦して仲直りしなさい、だと考えます。
イエスが天の国の譬えを王と家来、家来とその仲間との借金という余りに生々しい話しでされたのも、当時の諍いの多くが日常的な金銭貸借から起こったからでしょうし、現在においても金銭が絡む争いは家族親戚の関係すら修復不能にしかねない問題だからでしょう。イエスの時代、人びとは一日働いて一日分の日当(1デナリオン相当)を得ることで必要な食料を手に入れます。当然、仕事にありつけなければ日当は得られず、家族を食べさせることができません。怪我や病気で仕事ができなければ、また、家族が病気になったりすれば生活費や薬代を仲間から借りるほかないという状況になることも珍しくなかったはずです。仲間の100デナリオンの借金とはそのような生活費や薬代などが積み重なったものかもしれません。一方で1万タラントンの借金は、最近の金相場換算で3兆8千億円と非現実的な金額です。1タラントンで当時の庶民の生涯収入相当と推測されますので1万回分の生涯収入です。
イエスは人が神に対して負っている借り(罪)とはそれ程なのに神は赦してくださっている。そのことを思えば仲間同士、人間同士は何度でも赦し合い、仲直りできるはずだと教えられたのです。さらにイエスはこの世での仲直りの仲介役を諦めることなく果たすことを私たちに託しておられます。喧嘩をした後の仲直りこそが一番重要なのです。

2023年10月2日

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