2024/02/05 (MON)

チャプレンより聖書のことば

六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。ペトロが口をはさんでイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。弟子たちは非常に恐れていたのである。すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」
(マルコによる福音書第9章2~7節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン 倉澤一太郎
大斎節に入る直前、顕現節最後の主日の福音書はイエスの変容貌の記事が毎年読まれます。教会の暦では変容貌の記念日として「主イエス変容の日」が8月6日に定められていますので顕現節中にあえて変容を記念する必然が感じられないことから注目すべきポイントは別にあり、顕現節の主日日課に謎解きの鍵を見出せます。現在では顕現節第1主日である主イエス洗礼の日は、神が御子を本当の王としてこの世に遣わされお披露目された記念で初期キリスト者たちは顕現日(エピファニー)としてイースターに次ぐ祝日としていました。
この主イエス洗礼の日と大斎節前主日の主の変容の記事を読み比べますと一つの共通点に気付かされます。それはマタイ、マルコ、ルカの共観福音書全体でもそれぞれで二度しか記されていない稀有な記事で、神が人間に対して直接語りかけられるという出来事です。神はイエスの洗礼の際、その場に居合わせた者たちにイエスのことを「愛する子」と宣言されていますが、この御声こそイエスが神の子であり、またこの世において神の御言葉を伝えて人類を導く本当の王であるとの宣言で、エピファニー=真王の到来の由来となった出来事です。そして神はイエスの変容貌の際にも居合わせた弟子たちに再度宣言されて、その後で「これに聞け」と命じておられますが、おそらくイエスの洗礼の際にも「これに聞け」との命令を宣言のうちに含めておられたと考えて良いでしょう。
この「これに聞け」との神のご命令こそ、私たちが大斎節を迎えるに際して思い出しておかねばならない重要ポイントなのです。私たちは「聞け」と言われると、ただひたすら聞く、傾聴することをイメージして、それに終始しがちですが、神の「聞け」は「聞いて従え」であり、実践せよとの命令であることを踏まえておかねばなりません。イエスが語られた神が私たち人間に望まれている人としての生き方、また他者との交わり方を聞き、イエスが見せてくださったように実践することこそが私たちが滅びから救われる方法で、私たちが何もせずに誰かに助けてもらえるような都合の良い話ではありません。神の「聞け」を正しく理解してこそ、迎える大斎節をイエスから教えられた救いの実践の機会と捉えて、励むことができます。

2024年2月5日

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