2024/11/11 (MON)

チャプレンより聖書のことば

彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」
(マルコによる福音書第12章28~31節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン 倉澤一太郎
ユダヤ教の掟の中でどれが第一の掟か、すなわち一番重要かという問いの答えは当時の律法学者たちの間でも完全な一致は出ていなかったようですが、イエスが答えられた第一の掟については律法学者たちの予想の範囲内であり、同意できたように見受けられます。古代世界においてはユダヤ人に限らず、どの民族にも自分たちを創造された神を愛する姿勢は共通していたと見られますが、問題点を挙げるとすれば神への愛をいかに示すかで、自分たちの神を愛するがゆえに異民族が愛する神を否定する行動に陥り易いことです。この姿勢は現在に至るまで世界中に残っており、民族対立や戦争・紛争が起きる主要因の一つにもなっていますので、この掟だけを守ろうとする姿勢は危険と言わざるを得ません。

留意すべきはイエスが答えられた第二の掟の文言、「自分のように愛しなさい。」です。第二の掟はレビ記19章の「聖なる者」となるための一連の掟の一つですが、「自分のように愛しなさい」の文言は「隣人」と「寄留者」を愛せとの二つの掟で命じられており、神が異民族を隣人と同等に「自分のように」愛することを命じていることを示します。当時の人びとにとって神を愛することは常識ですが、隣人や異民族を愛することと両立せよと命じられたのは意外であったと考えます。ユダヤ人は異民族との交わりを忌避する傾向が強かったように見受けられますが、イエスはご自身でも異民族にも宣教され、たとえ異民族であっても助けを求める人の隣人になりに行く姿勢が重要だと教えておられます。それを実行する際に不可欠なことが、まず自分自身を愛することです。

神への愛のために異民族を虐げる人は数多くおり、神のために自分の命すら捨ててしまう人も珍しくありませんが、神は被造物である私たちを一人ひとり見分けられた上で、それぞれを愛され大切に思われていることを忘れてはなりません。悪人であっても一人として滅びることを良しとされず、神の許へと呼び戻すために御子イエスをこの世に遣わされ、和解の犠牲として十字架に架けられました。神がイエスの命よりも価値があると見てくださったのですから、私たちが自分のことを勝手に軽視することは神の思いやイエスの犠牲を軽視することになります。神を愛するには神の作品である自分を大切にすることが何よりも不可欠であり、自分のように隣人を愛してこそ、神を愛することが可能になることを共に覚えましょう。

2024年11月11日

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