彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
(マタイによる福音書第2章9~11節)
立教新座中学校・高等学校チャプレン 倉澤一太郎
古い時代の教会では顕現日は主イエスの洗礼を記念する一大祝日でしたが、クリスマスの成立に伴い現在では東方の三博士による礼拝を記念するものに変わって守られています。
興味深いのは古来より「三博士」や「三賢者」、「三賢王」などと称された東方の占星術師たちのことを記している福音書の記事に、彼らの人数が「三人」だと見出すことが出来ない点です。「三」という数が重要な要素に感じさせられますが、「三人」である根拠は「黄金、乳香、没薬」という三種の宝物からの連想に過ぎないようです。それでも、「三博士」にはいつの間にかメルキオール(黄金:若者)、バルタザール(乳香:壮年)、カスパール(没薬:老人)という名前や年齢、担当まで設定され、さらには他の文化圏や大陸の代表にまで拡大解釈されるようになりました。また黄金=王、乳香=神、没薬=死を象徴するものとも解され、イエスが王にして神(の子)であり、十字架上での死を予告したものだと教会で解釈されるようになりましたが、私自身は三種の宝物は古代世界において誰もが価値があると認める宝物であり、博士たちは自分たちに入手可能で旅に際して腐ったりしない物を携えたのではないかと考えます。黄金は世界共通の貴金属ですし、乳香と没薬は古代の神殿では香として珍重され、また様々な薬効成分を有する薬でもありました。共通するのは少量でも大変高価であり、交易商人たちにとっては長い旅にも適した商品であったことです。
そして古代世界ではこの三種の宝物の一大産地とされた土地こそが、ユダヤを中心にした地理感覚での「東方」、ヨルダン川東岸の砂漠を超えた先にあるアラビア半島南部の地でした。古代世界ではアラビアの黄金と香料は広く知られており、占星術に必須の天体観測は砂漠を旅する者には不可欠なスキルです。当時の人びとの「東方」=ヨルダン川の東側という地理感覚や、三種の特産物を土産物にした感覚、星に導かれて到来したことを合わせて考えると、博士たちはアラビア半島から到来した可能性が高いと言えます。そして博士がアラビア人であったとすれば、それはこの時代においては到底起こり得ないはずの奇跡的出来事が起こったことを示すものとなります。待望の救い主とはいえ、ユダヤ人の赤ん坊の誕生をアラビア人がわざわざ祝いに来る。これは非常に驚くべき出来事です。旧約聖書によればユダヤ人とアラビア人は共にアブラハムを先祖とする民族ですが、先祖代々対立し争いを繰り返してきた関係です。同じアブラハムの神を信じてはいても互いの祭儀の在り方を否定し合う者たちが一つ所に集うなど現代の中東においてはほぼ不可能ですし、この時代においても想像もできない出来事であったと言えます。
しかしながら救い主の誕生という出来事は、対立し合う者たちを一つ所に呼び寄せて新生児の誕生を祝う平和の奇跡を生み出したのです。救い主の到来を信じ続けた者と、祝いに来た者たちを迎え入れる者とが出会い、共に祝う思いを共有した時に奇跡は起こったのです。奇跡を起こすのは人です。神を信じ諦めない人によって平和が生み出されることを、神は独り子イエスを無力な赤ん坊としてこの世にお遣わしになることで私たち人間の可能性、希望として示されたのでしょう。
2025年1月13日
興味深いのは古来より「三博士」や「三賢者」、「三賢王」などと称された東方の占星術師たちのことを記している福音書の記事に、彼らの人数が「三人」だと見出すことが出来ない点です。「三」という数が重要な要素に感じさせられますが、「三人」である根拠は「黄金、乳香、没薬」という三種の宝物からの連想に過ぎないようです。それでも、「三博士」にはいつの間にかメルキオール(黄金:若者)、バルタザール(乳香:壮年)、カスパール(没薬:老人)という名前や年齢、担当まで設定され、さらには他の文化圏や大陸の代表にまで拡大解釈されるようになりました。また黄金=王、乳香=神、没薬=死を象徴するものとも解され、イエスが王にして神(の子)であり、十字架上での死を予告したものだと教会で解釈されるようになりましたが、私自身は三種の宝物は古代世界において誰もが価値があると認める宝物であり、博士たちは自分たちに入手可能で旅に際して腐ったりしない物を携えたのではないかと考えます。黄金は世界共通の貴金属ですし、乳香と没薬は古代の神殿では香として珍重され、また様々な薬効成分を有する薬でもありました。共通するのは少量でも大変高価であり、交易商人たちにとっては長い旅にも適した商品であったことです。
そして古代世界ではこの三種の宝物の一大産地とされた土地こそが、ユダヤを中心にした地理感覚での「東方」、ヨルダン川東岸の砂漠を超えた先にあるアラビア半島南部の地でした。古代世界ではアラビアの黄金と香料は広く知られており、占星術に必須の天体観測は砂漠を旅する者には不可欠なスキルです。当時の人びとの「東方」=ヨルダン川の東側という地理感覚や、三種の特産物を土産物にした感覚、星に導かれて到来したことを合わせて考えると、博士たちはアラビア半島から到来した可能性が高いと言えます。そして博士がアラビア人であったとすれば、それはこの時代においては到底起こり得ないはずの奇跡的出来事が起こったことを示すものとなります。待望の救い主とはいえ、ユダヤ人の赤ん坊の誕生をアラビア人がわざわざ祝いに来る。これは非常に驚くべき出来事です。旧約聖書によればユダヤ人とアラビア人は共にアブラハムを先祖とする民族ですが、先祖代々対立し争いを繰り返してきた関係です。同じアブラハムの神を信じてはいても互いの祭儀の在り方を否定し合う者たちが一つ所に集うなど現代の中東においてはほぼ不可能ですし、この時代においても想像もできない出来事であったと言えます。
しかしながら救い主の誕生という出来事は、対立し合う者たちを一つ所に呼び寄せて新生児の誕生を祝う平和の奇跡を生み出したのです。救い主の到来を信じ続けた者と、祝いに来た者たちを迎え入れる者とが出会い、共に祝う思いを共有した時に奇跡は起こったのです。奇跡を起こすのは人です。神を信じ諦めない人によって平和が生み出されることを、神は独り子イエスを無力な赤ん坊としてこの世にお遣わしになることで私たち人間の可能性、希望として示されたのでしょう。
2025年1月13日
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