2025/04/14 (MON)

チャプレンより聖書のことば

その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちは、ユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸にみな鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手と脇腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父が私をお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。誰の罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。誰の罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」
(ヨハネによる福音書第20章19~23節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン 倉澤一太郎
復活のイエスが弟子たちと再会され、キリストの弟子としての任務を託された場面です。この箇所だけを切り取って読むとイエスは弟子たちに、また弟子の集まりである教会に罪を赦すという大きな権威・権能が与えられているとの誤解を生みかねません。実際、後の時代には教会組織が多大な影響力を社会に奮う根拠の一つとして用いられ、大きな権力を持ち続ける結果を招いています。しかしながら、この再会の時には「教会」はまだ組織化されておらず、イエスが後世の教会に対して権威・権力を保証したと考えるのは拡大解釈に過ぎると言えます。イエスの真意は「あなたがたに平和があるように」の言葉に表されるように、私たちの世界に本当の平和をもたらすことで、それはイエスをこの世に遣わされた神の御旨であったと考えます。さらに「あなたがた」とはイエスの前にいた弟子たちばかりでなく、第20章29節で「見ないのに信じる人は、幸いである」と語られているように、遣わされた弟子たちがこの先出会い続けるすべての人を指しており、それは復活のイエスと直接会うことが出来ない現代の私たちのことであり、弟子たちよりも私たちの方が幸せだよと言われたのです。

誰の罪であっても私たちが赦し赦される、赦し合いこそが、世界に本当の平和をもたらすために重要なことだとイエスは教えておられるのです。古代のユダヤ人はひたすら神から赦しを得ようと礼拝や律法を順守することを根本にした信仰生活を送っていました。ですが、神はすでに赦しておられることをイエスは伝えられ、その上で人間が神の平和の中に生きることを神は願われていると語られました。イエスは神のメッセージを伝えただけでなく、人間が神の平和の中に生きるために必要な助け合い、励まし合い、分かち合う方法などを教えられただけでなく、ご自身で実践して見せられました。「神はすでに人間の罪を赦しておられる。後は人間同士の罪、お互いの過誤を赦せるかどうかにかかっている」と言われたのです。

赦し合いや仲直りなんて簡単だと思うかも知れませんが、実践し続けることは非常に難しいことです。平和の到来を拒むのは常に私たち人間で、私たちの都合で平和を拒み、この世界を地獄にしてしまっているのです。ならば平和を生み出す責務は私たちが負わねばなりません。イエスは平和を生み出すための重要な秘訣、赦し合い仲直りすることを託されました。

2025年4月14日

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